グループ展『共同体について』2018年4月21日(土)~5月26日(土)at URANO
美術家集団パープルームを主宰する梅津庸一キュレーションによる「共同体」をテーマに据えた展覧会。
10代から70代の作家、グループが織りなす濃厚なやりとり、そして断絶。
わたしたちは散り散りに世界にいるわけではなくて。果物で言えば葡萄の房のようにコミュニティをつくり暮らしている。国家、街、学校、会社、SNS、家族、、、など大小さまざまな集団に幾重にも属している。もちろん、美術/アートも例外ではなくそれ全体がひとつの共同体とも言える。
その中にたくさんの集団がひしめき合っている。その大半が潜在的な共同体であり意識的に生まれたわけではない。例えば、パープルームは民家を学校として半共同生活を営むいわば疑似家族のような美術家集団であり、渋家は2008年に渋谷に誕生した大人数のシェアハウスである。19世紀末フランスのパリで活動したナビ派はポール・ランソンの家を「神殿」と呼びボナールやドニをはじめとする作家たちが集う秘密結社的な場であった。他にも印象派、フォーヴ、ダダ、実験工房、具体、もの派、美共闘など枚挙にいとまがない。これらは意識的に生まれた共同体であり、いつの時代も集団やグループはすでにあるインフラや環境と個の間の緩衝材、スペースとして表現の発生と深く関わってきた。
通常、グループ展とは友人同士であったり、主義主張を同じくする者たちによって組織されることが多い。しかし本展はそういう趣旨で開催されるわけではない。だからと言って、なんとなく集められたわけでも、表現の多様性を示したいわけでもない。
グループ展という形式は期間限定の集合体である。それぞれの出展者たちが拠って立つ文脈や引き連れてくるものたちが絡み合ったり断絶したりすることによって現れる切断面にどのような融和や不和が認められるのだろうか。そして一番重要なのは、いまここにはいない他者。とりわけ死者や亡霊たちと天体的関係を結ぶことである。本展では実際に出展作家と死者たちのつながりがわかりやすく図解されているわけではない。美術に於ける共同体は作家同士の連帯のみを指すのではなく異なる幾つかのものを紐づける鑑賞者の眼がつくるものでもある。
『共同体について』
【日程】
2018年4月21日(土)~5月26日(土)
【出展者】
松浦寿夫
フナイタケヒコ
安藤裕美
梅津庸一
ユ、六萠
大野陽生
渋家分離派
※ シンポジウム「共同体について」5月12日(土) 18時から20時
登壇|松浦寿夫、梅津庸一、ほか
【会場】
URANO
(東京都品川区東品川1-33-10 TERRADA Art Complex 3)
https://urano.tokyo
松浦寿夫
画家でありフランスの美術史の専門家でもある。一貫して絵画の光学的な側面に正面から取り組み続けている。本展ではシンポジウムにも参加する。
フナイタケヒコ
60年代後半から鳥取で「スペースプラン」という前衛美術家集団に所属し活動していた。現在も鳥取で精力的に画家として活動している。
安藤裕美
パープルーム予備校一期生。ナビ派に深く傾倒している。本展ではパープルームの日常を描いたアニメーション作品を出展。
梅津庸一
美術家、パープルーム主宰。本展では梅津が高尾山で行ったパフォーマンスの映像作品と、ゴーギャンの『マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)』を下敷きにパープルーム予備校生の安藤裕美を描いた作品などを出展する。
ユ、六萠
京都に住む、19歳の学生。ネットを通じて多くの人が共有するキャラクター絵画などの文法を踏襲している。たとえば帝国水素やク渦群などのキャラクター絵画第三世代をベースにそれをドロドロのペースト状にしたような作品。何周もまわって作品のビジュアルは50年代の抽象表現主義に接近している。
大野陽生
大谷石、粉末パテ、木材でつくられるヒト型の彫刻は近代よりももっと前の感受性とつながっているようである
渋家分離派
渋家は2008年に齋藤恵汰によって生み出された大人数によるシェアハウスであり、上妻世海や〈Maltine Records〉を主宰するtomadなど様々な人々が関わってきた。そんな渋家で活動する若者がパープルームが開催した「ゲルゲル祭」という民家で行われた展覧会を訪れたことをきっかけに結成した、渋家の派生ユニット。
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