CULTURE.ART.MUSIC.LOCAL.EGO = SCENE

KINGRAT (KING RAT TATTOO) MINORITY ISSUE

[2011/10/22]

KINGRAT (KING RAT TATTOO)
北九州を拠点に国内外に発信し続ける彫師”KINGRAT”氏。見事な色使いとアートワークによる彼の作品が人々を魅了するのは、絵と地元をこよなく愛する彼自身の経験と歴史が、ただ単にLIFE STYLEとしてだけではなく芸術性をも伴った上で、しっかりと人々に刻まれているからではないであろうか。今回10月に地元で行われたPARTY”SHANTY TOWN”でのTATTOO WORKの模様と共に、”KINGRAT”氏に色々とお話を聞いてみました!


KINGRAT氏インタビュー
2011.10.9.24 at kingrat tattoo

 

—–昨日のイベント”SHANTY TOWN”お疲れ様でした!

お疲れ様でした。楽しかったです

—–僕もですけど皆、結構な量飲んでましたよね(笑)早速お聞きしたいのですが、彫り始めたのはいつ位の頃か教えて貰ってもいいですか?

マシンを持ち始めて18年位かな

—–今、年齢はお幾つですか?

43歳

—–という事は。。。24~25歳位の時という事ですね?

20年前位って、最初TATTOOはそんなに盛り上がってなかったし、お客さんもそんなにおらんかったから、もう最初は自分に彫って、友達に彫って、お金も貰わんくて、飯を奢って貰ったりとか、洋服を貰ったりとか、物々交換なんかをやったりしてて、それでやって行くうちにTATTOOブームみたいなのが来て、友達の友達が来だして、それと同時に楽しいしどんどんTATTOOにはまっていって。最初は自宅で俺やってたから、カッコ悪いなと思ってTATTOOの事ちゃんとせなと思って。。。

—–それで見直しつつという感じで?

そうそう。2年位はマシンも最初は日本で売ってるマグネットじゃなくてロータリーのマシンでやってて。それでアメリカの雑誌とか見るとマシンからして違ったりしてて。。。で、まー実際手に入れたてみたら

—–なんじゃこれはと?(笑)

そうなんだけど、誰も教えてくれんけん、独学で試行錯誤しながらやってるけん

—–この時は、小倉だったんですか?

この時は北九州の最初は実家の俺の部屋でやってて、その頃皆北九州の人間って、TATTOO入れてる子は、東京とか上の方へ行って、フラッシュワークとかでワンポイント10万円とかで、物凄い金額で入れてきて

—–ワンポイント10万ですか。。。結構な値段ですね?

でも、まー周りにTATTOO入れてる奴はおらんからカッコいいよね?で、そうやって皆東京に憧れなんかもあったんだけど、地元北九州なんかじゃTATTOOやってる人もおらんかったし

—–そうだったんですね

で、最初は俺も覚えたい覚えたいばっかりで、色んなTATTOOの本とか見てたんだけど、元々絵は好きで。壁とかに描いてたんだけど

—–それは10代の頃からって事ですか?

そうそう。彫師やる前に

—–元々絵を描く事に没頭したのはいつ頃の話なんですか?

小さい頃だね。小学校の頃とか授業中に絵を描いて、親が呼び出されたりとかなんとなく記憶にあるし(笑)中学校入っても漫画や落書き程度だったけどとにかく絵は好きだった。とにかく大好きで

—–やっぱり小さい頃からなんですね

高校は普通の機械科へ行って、そのまま工場に就職して、そんで、友達の車にカッティングシートやったりして、流行ったじゃん?

—–はいはい!流行りました!

ああいう絵を描いたり、ジャンパーに絵を描いたり、壁に絵を描いたり。で、そうこうしとったら飲み屋の壁に絵を描いたりとか、ちゃんとお金も貰えるようになって、単純に絵が好きだから普通に仕事しながら趣味でやって。それである友達と出会って、今の親友なんだけど、そいつがいきなり今日から彫師だとかいって(笑)TATTOOマシンを持ってきていきなり彫り出して、その頃そんなマシン持ってるやつなんかおらんし(笑)

—–(笑)

ほんで、そいつが、その当時日本国内にTATTOO誌なんかなくて、いきなりアメリカのTATTOO雑誌持ってきて

—–ペラペラの昔のやつですね?

そうそう、それで俺も当時はSTRAY CATSが好きだったりで、彼らはTATTOOは入ってたんだけど、それはあくまでも外国の話であって、日本じゃ無理やって思っててたんだけど、日本だとTATTOOというか和彫りだよね?悪いイメージしかなくて、そしたらそのTATTOOマガジン見た時に、完全にこれ、絵やなって思って。俺の中のTATTOOのイメージが変わって、すぐに友達に入れて貰って

—–という事は、そのアメリカのTATTOO雑誌がきっかけだったんですね?

そうそう

—–なんて言いますか、アートとそのアメリカの文化的な部分と墨がマッチしたんでしょうね?

俺の中で、刺青はなかったやけん、絵は好きやけど、刺青はもうただ悪いもんだと思ってたから。和彫りとかの悪いイメージしかなかったのに、ああやってTATTOOマガジンを見せられて、びっくりしして

—–一気にはまってしまったんですね

そうそう。完全に絵だって思って。で、壁に絵を描きよー時からKINGRATって言ってたんよ。それで、その親友がマシンを買ってそのまま彫師になって。その内にそいつが辞めて、マシンだけが残ってしまって。俺が絵が描けるけんお前なら出来るよって言われて、そいつの腕に彫ったのがきっかけ。最初はその程度。ちょっと話が前後するけど

—–それで、最初の話に繋がるわけですね。最初の最初の本当のファーストTATTOOはその親友に彫ったのになるんですか?

そうそう。それが最初

—–それってまだ残ってます?

残っとー(笑)もうぐっちゃぐちゃやけど(笑)

—–(笑)それは物凄い歴史的な作品ですよね

昨日もイベントにおったやつなんだけど。ガッツリ墨入っとるけど、実はくっちゃくちゃだけど残ってる(笑)

—–そうなりますと、割と自己流で勉強したという事なんですね?

うんうん、全部独学で。TATTOOはね

それでやりだして、和彫りとか最初は悪いイメージだったんだけど、TATTOOをやるにあたって、やっぱり日本人だしやっぱりどうしても和彫りも気になってしまって、そうすると和彫りの意味合い的なものとか

—–美学とかですね?

そうそう、着物から見え無いようになっとるとか、見切りとか、そういうの知っていくとカッコいいってなって。それで、福岡にある和彫りの彫師さんがテレビ番組に出てて、その番組に出てた番号に速攻電話して

—–早いですね(笑)

そう、それで俺は自宅でやってたから仕事場の雰囲気が見たくて、周りの皆はいかん方がいいよって(笑)言ってたんだけど、そんなん関係ないって(笑)まだ1~2年しか経験ない俺が、生意気にも仕事場見せて下さいって素直に行ったら

—–結局行ったんですね(笑)

そしたら、凄く良くしてくれて。それでやっぱ和彫りに魅せられるよね。で、手彫りを勉強しようと思って

—–それは完全に手彫りなんですね?

マシンもあったけど、和彫りしたいんだったら手彫り覚えた方がいいよって言われて。その時にはじめて頭を下げて。福岡だったから週に一回手彫りを覚えようって事で、良くして貰って。でもマシンもやっぱり奥が深いよね?

—–はい

セッティングによって色の入り方が違ったりして、手彫りもまた大変よね?で、自分の中でごちゃごちゃっとしてしまって、それでもう一回頭下げて、ちょっと手彫りは

—–違うと?

そうそう。今でもその方とは良い付き合いさせて貰ってるけどね

—–なるほど。それでは手彫りは多少経験あるけど

そうそう、でも今は触ってないな

—–どちらにしろ、一回知らないと決められないですし、知った上で和彫りをやるかやらないかを決める事は正しい選択ですよね。結果的にどちらも見た上で今はマシンでの洋彫りって事ですよね?

まー和彫りもするけどね

—–洋彫といっても、アメリカのトラディッショナルの様な?

そうだね、俺が一番影響受けたっていうのが。その頃ニュースクールが出て来た時だったのね?目ん玉がボヨーンって出てるようなのね

—–ラットフィンクみたいなのですね?

そうそう、ファーストTATTOOも俺ラットフィンクなの

—–そうだったんですね!トラディッショナルというよりは、ニュースクールになるんですね

その当時ニュースクールが出てきて、トラディッショナルTATTOOなんか見ても、うわっ!昔の絵!みたいな感じで、歴史も何も知らんし、ただ単純に昔の絵やな?って感じだったけど、やっていく内にトラディッショナルも改めて見ると、和彫りみたく意味があったりとかするしカッコいいなと思うけど。どうしても俺、絵から入ってるから、あんまり意味とかを追求したくないっていうわけじゃないんやけど、そこばかりを追うんじゃなくて単純に、カッコいいかカッコ悪いか

—–まずはバーンと見た目でって事ですね?

そうそう。そこでトラディッショナルっぽい雰囲気を取り入れたりとか。トラディッショナル風やね

—–結果的に最初見た時に、魅了できる作品ですよね。それでちょっと作品を見させて頂いて聞きたかったんですけど、色使いが物凄い独特と言いますか、色の入り方もそうなんですけど、配色が物凄く個性的だなと思ったんですけど、何か気を使ってる事はありますか?

それ、結構良く言われんのだけど、分からんの

—–特に?

特には意識してない

—–例えば肌の色に合わせて何かをするとか?

色の黒い子に対してあまりカラー入れても見栄えが良くないから、色目は抑えたりはするけど、あんまり基本的には変わらない

—–配色も割と、リクエストもありつつも割と自分の感覚でって事ですか?

そう。ベースとなる色だけ決めて。鬼だったら鬼で。鬼の顔の色をどうするって聞いて、もしお任せでって言われたら、じゃーこういうのは?って聞いて。お客さんの希望の色がおかしかったらおかしいって言うし、オッケーだったらオッケーって言うし。その色に対して、その絵を引き立たせる為には反対色を持って来たりとかは考えるけど、基本的にはあんまりガツガツには意識してない

—–狙ってこうとかでは無くて、感覚的にって事ですね?

そうそう

—–でも、やっぱり色の配色が、見て直ぐにKINGRATさんの作品だって分かるっていうか

よく言われるけど。わからん(笑)意識はしてない

—–そうなんですね(笑)で、結構アメリカなどの海外でも物凄い評価が高いのですが、コンベンションなどは?

アメリカしか行ってない

—–アメリカは何回位?

コンベンションは2~3回位。ラットフィンクのPARTYを見に行ったり遊びには何度も行ってて。向こうで仕事が出来るようになったのは、昔車の雑誌があって、その後半の色んなアーティストの特集の中に、オレンジカウンティのSIDっていうロカビリーな感じのアーティストが載ってて。住所見て行けるやんって思って、友達と見に行ったら、結構良くして貰って。そん時にはSIDはおらんかったんだけど、そこのレギュラーアーティストのERICってかっこいいやつがおって、そいつに今度また来た時にTATTOOやってくれって頼んで、俺もTATTOOやってるって言ったら、じゃーお前も今度マシン持ってきてトレードしようって言われて

—–凄いですね!

で、半年後にアメリカに行ってTATTOOをトレードした時に、SIDがいて。今回はERICとトレードだから、次回はSIDとって。色々アメリカに行く度にSIDの所へ行くんだけど、その時に今度自分の所の主催のコンベンションがあるから出ろって

—–もう二つ返事ですね(笑)

そうそう(笑)で、その時にTOKYO のINKRATのレイに出会って

—–そうだったんですね。ちょっとSIDの話に戻りますが、知り合いに聞いた話なんですけど。。。KINGRATさんの知人か後輩の彫師さんが、SIDを訪ねた際に、最初普通にしてたらしいんですけど、KINGRATさんが渡したお土産か何かを出した瞬間、物凄い歓迎ムードになって、お店にいる人集めたこれが”KRスタイル”だって皆に見せていた位SIDもファンみたいですね?

そうそう

—–言ってしまえば、ニュースクールって本来向こうの発信で、それをこっちで表現して、向こうで認められるってやっぱり物凄い事ですよね。

KINGRAT (KING RAT TATTOO) MINORITY ISSUE

それで、アメリカに行ったり、日本も全国行ってるとは思うんですけど、この地元北九州を出る気はないんですか?

出る気はない

—–もうここで発信していくって事ですか?

最初、自分が彫師になりだした時は、実家で始めて、友達とかだったらいいんだけど、実家だとあまりお客さんには良い環境じゃないじゃない?とりあえず金も無かったから、半年だけ実家でやって、その後一人暮らしして、一部屋をスタジオにして。それで、その時に、皆東京に行くんだけど、変な田舎もん根性で、やっぱ北九州でしょ、ここから発信しますよって。逆にね

—–かっこいいですね

でも、田舎やから全然情報ないし、だから外出てって、アメリカ行ったりして帰って来て、どうやー!ってやっても全然空回り(笑)

—–あらら(笑)

でもそん時はアメリカに行ったりした事が自分にプラスになったし、遊びに行っても刺激になるし、そんな中で絵も変わってきたと思うし。北九州に拘ってるっていうのは、田舎もん根性

—–でも、地方からも結構入れに来てくれるんですよね?

うんうん、来る

—–それって、やっぱり来させるって変ですけど、来て入れたいって思わせるっていうか

そうだね、それはあるね。いや、こっから発信やから。俺が東京とか大阪とかイベントがあって、県外の人達と会って彫って、いや北九州のスタジオも見にきてよって。スタジオだけじゃなくて

—–食べ物だったり?

そうそう、食いもんだったり、遊ぶところはそんなにないけど、北九州来てよって。結局県外から来てくれたら逆にもえるよね

—–確かにそうですね。それで昨日みたいなSHANTY TOWNっていうイベントも音楽込みの刺青だったり、DJだったり、県外からたくさん人が来て凄く良いイベントですよね。更に刺青に興味ない人も見る機会があって。SHANTY TOWNは最初から参加してるんですか?

うん。最初から参加して。前は自分の車とかエントリーしてて、3回前とかの時は、俺も車好きだから車で参加して、そん時はTATTOOは無しで

—–車は今は何を乗ってるんですか?

フォードのモデルA

—–やっぱり車は好きですか?

車はTATTOO始める前から好きだったからね

—–確かに車ってアメリカ文化に魅了される一つのきっかけですよね。バイクは乗らないんですか?

バイクは乗らないよね、車だけだね

—–結構メンテナンス大変なんじゃないんですか?

いや、しっかり車屋さんでやって貰ったので、全然問題なく

—–それはずっと乗られてるんですよね?

あ、でも車検切らせて(笑)乗れてないけど。。

—–あ、それは残念ですね(笑)

でも、イベントの時とかに仮ナンバー取って、あれって最大5日間乗れるから、1日イベントで、後の4日間は仕事終わってぐるっと回ってみたいな(笑)

—–至福の一時ですね(笑)

ちなみに好きな音楽は?

基本的になんでも聞くんやだけど。一番好きなのはやっぱりサイコビリー

—–やっぱりサイコビリー。STRAY CATSとかですね?

まーSTRAY CATSは中学校の時に好きになって

—–ちなみに(恐る恐る。。。)聞いた話なんですけど、PERFUMEが好きだとか?

大好きです(笑)

—–そうなんですね(笑)

熱く語るけど詳しくは書かないでね?(笑)

※テレコ早送りします。という事で詳しくはご本人にお聞き下さい。よって割愛させて頂きます(笑)

—–そういう事だったんですね(笑)

KINGRAT (KING RAT TATTOO) MINORITY ISSUE

ではお話を変えさせて頂きます(笑)ちょっと真面目なお話で、チャリティーの事を聞かせて頂きたいなと思うのですが、昨日のイベントでもチャリティーTシャツを販売していたのですが、あれは最近はじめたんですか?

そうそう。もう十年位前から福島に住んでる友達がいて。元々福島の郡山の人間なんだけど出張で北九州に来た時にTATTOO入れたりして仲良くなって。それでそいつが出張終わって地元に帰った後、当時まだ和彫りを勉強してる時で、一か月間仙台に和彫りの勉強って事で、若い子に和彫りを彫りに行ったんだけど。たまたま一週間そのお客さんが忙しくなってしまって、時間が空いてしまって

—–仕事か何かですね?

そうそう、それで、一週間か?ってなった時に、その時は携帯もない時代だったんだけど、あ、そういえば福島って近いかもって思って。地図で調べて電話番号も調べて、早速その福島の友達に、明日レンタカー借りて遊びに行きますって連絡したら向こうもビックリして。

—–携帯ないって凄いですね(笑)

そうそう(笑)で、駅で待ち合わせして、会えたんだけど。そいつはバーみたいな焼肉屋さんをやってるんだけど、パッと見たら結構刺青も増えてて。空いてる所に彫らしてくれって言って、仙台の仕事を終わらした後に道具を持って福島に寄ってそいつに彫って。

—–記念にですね?

そう。記念にTATTOO一個残して北九州に帰ったら。後日電話あって、何人集めたら福島来てくれますか?って言うから、5~6人集まったら行くよって。それで、結局そいつのお店の10畳位の所で彫る事になって

—–ゲストワークとしてって事ですね?

TATTOOショップじゃないんだけどね。10年位かな。それで通っていく内に郡山や福島でもTATTOOショップの人と知り合いになって。半分基本は出張なんだけど、半分は友達に

—–会いに行くって感覚なんですね?

そうそう、俺も刺激になるし。で、今回震災があって

—–そうですね。。。

電話も繋がらなくて。。それで、夜にやっと電話が繋がったんだけど、最初に思ったのが、恐らく仕事は出来んなるんじゃないかって、お客さん来なくなるんじゃないかって。それで、その福島の友達のSHOPの裏でプリント刷って手刷りでTシャツとか作ってたから、まず復興Tシャツ作ってウチに送れって言って。それで送って貰ったTシャツをこっちで売って、売れたお金で何が欲しいって聞いたら、カップラーメン送ってくれって言われたから

—–ドン!って送って?

そうそう、で段ボール六箱位、バコーンって送って。そこに六箱も送ると、そいつの周りの友達も潤うわけじゃん?その周りがね?

—–はいはい!

俺も、やけん、募金もするけど、募金はどこに行くかわからんけ、じゃなくて10人以上友達がいるわけだしピンポイントに

—–自分の見える所にって

そうそう、ピンポイントだけどそいつが潤う事によって周りが潤うっていう事を俺はしようと思って。次に、物流も戻ってきて、生活も安定して、TATTOOも忙しくなってきて。それで、5月に行く予定だったんだけど、今度放射能の問題があって

—–そうですね。。。

で、どうなのって聞いたら、普通って言うから行ったんだけど。震災の影響は陸側だからそこまで大きくはなくても、それでも壁とかはボロボロ落ちたりしてて。みんな元気そうなんやだけど、なんとなくやっぱりその放射能の違和感はあるよね。

—–目に見えない分ストレスですよね

だけん、次にどうしようかなって思ったら。今度はお前ら北九州に遊びに来いと。でも来るには旅費がかかるし

—–そうですよね

で、お前らまたTシャツ作れって言って。で、そのTシャツを売る事でお金にして旅費にしてっていう

—–それがベストと言いますか、コンビニとかのああいうレジ横の募金とかって、一国民としての義務というか、どこにそのお金が行くか分からないけど、誰かに届けばいいなって思いでしますけど、それとは別で平行して今度は身近な仲間を助ける動きは物凄く共感できますね

俺もお金持ちじゃないんで、友達を助けるって言ってもそんなにお金は出せないけど、出来る事はたくさんあるから

KINGRAT (KING RAT TATTOO) MINORITY ISSUE

—–そのTシャツを買う人ってKINGRATさんの周りで信頼してる人だと思いますし

もちろんそうだし、絵もカッコイイしね?

—–はい、デザインもカッコいですし値段も安いですしね

やけー、それで少しでも復興になればと

—–物凄く共感できます!
そろそろ最後の質問なんですけど、3~5年後の自分ってどうなってると思いますか?何か野望と言うか目標と言いますか?

野望はない。野望はないけど、カッコいいTATTOOを彫りたいし、後はやっぱり北九州のTATTOO部門だから

—–そうですね、色んな文化がある中で

そうそう、TATTOO部門やから、カッコいいTATTOO入った人達が北九州に増えて、そして人が北九州に来てくれたらなって。TATTOOだけじゃ多分繋がらないんで、それに付属して色々繋げていけたらいいかなって思います。

—–今日はイベントの翌日でお疲れの中ありがとうございました!

KINGRAT (KING RAT TATTOO)


KINGRAT (KING RAT TATTOO)


Report by kenichi kono

Posted in ALL ENTRY, INTERVIEW, minority issue, SHANTY TOWN |