tha BOSS [THA BLUE HERB] インタビュー
Profile of |tha BOSS [THA BLUE HERB]|
THA BLUE HERBのフロントマンtha BOSSが初のソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』を完成させた。このタイミングで繰り広げられた一大プロジェクトの真意、ヒップホップに対する想い、言葉を生業にするが故の美意識も垣間見れるスペシャルインタビューです。
tha BOSS [THA BLUE HERB] INTERVIEW
—–まず、初のソロアルバムが完成してみての率直な感想をお聞かせください。
頑張って作ったかいがあるものができたなと。
—–今回はよりパーソナルな部分にまで踏み込んだソロアルバムという事でリリックにも幼少期の場面を想像させるような部分もあるのですが、そういったヒップホップと出会う前の時期に夢中になっていた事って何かありますか?
夢中になっていたのは少年野球だね。
—–その経験が今現在影響を及ぼしている事って何かありますか?
少年野球から得たもので今の俺に残っている事は、なんだろー、あんまりないね。
9回裏に1-0で勝っててこっちが守りの時でツーアウト満塁で俺はショートを守っていたんだけど、『俺んとこに打つなーーーー』って守ってたからね(笑)
—–(爆笑)そういう時って結構飛んで来ちゃうんじゃないですか?
いや、来なかった(笑)後、試合前に立ちションしてションベンの色が黄色かったら勝つとか、そんなレベルだったね。
—–(笑)わりと肩の力を抜いてやられていた感じなんですね。
そうそうそう。そんな感じだからプロ野球選手とかになれるはずもないよね。
—–でも憧れたりはしたんですか?
プロ野球選手にはなりたいと思っていたね小学生の時。
—–それが一番最初に夢見た事だったんですよね。
そうだね。大人になったら何かになりたいって思ったのはプロ野球選手がたぶん一番最初だったね。
—–何歳くらいまでやっていたんですか?
中学校3年までだね。
—–その中学生の時ってもうヒップホップに出会ってましたか?
まさか、まだ全然出会ってないよ。
—–じゃあ完全に野球は辞めてから出会ったわけですね。
その後音楽を好きになって、でもまだ函館の田舎だったからヒップホップなんか届いて来ないし、そもそもまだヒップホップ始まって無かったんじゃないっていうような時代だったから、ヒップホップが本当に好きになったのは大学に入るのに札幌に出て来てからだね。
—–THA BLUE HERBを始める前にも音楽の活動ってされていたんですか?
ヒップホップで?
—–ヒップホップに限らず。
高校の時に軽くコピーバンドをしていた位だね。
—–ちなみにその時は何をされていたんですか?
LAUGHIN’ NOSE(ラフィンノーズ)のコピーバンドのボーカルだね。
—–おお!そうなんですね。そこから本格的にヒップホップをやるようになったのはTHA BLUE HERBを始めてからという事になりますか?
札幌に出てきてヒップホップを知ってO.N.Oと知り合って、彼がDJをやっていて、それでB.I.G. JOEと知り合って、彼がラップをやっていて、そのライブを観て位の時からだね。
—–最初はひとりでやられていたんですか?
俺はO.N.Oとやってたよ。
—–もうその頃からそうだったんですね。
もちろんそう。O.N.OのサイドMCみたいな感じ、B.I.G. JOEのサイドキックみたいな感じが俺のキャリアの最初だね。
—–じゃあソロとして動くのは今回が本当に初めてになるわけですね。
初めてだね。でもまあ、THA BLUE HERBもMCは俺だけだけどね。
—–確かにそうですね。そうすると、そのTHA BLUE HERBがある中でこのタイミングでソロ名義でのリリースをするというのはどういった意図があったのでしょうか?
正直、俺とO.N.Oって2人っきりでずっと言葉と音で対峙して作ってきたんだけど、2012年の”TOTAL”ってアルバムを作って、結構それが俺たち的に特に俺的には頂点極めたっていうか、1MC1DJでずっと2人で作ってきた中でもクオリティーの高さって意味ではもうこれ以上はないっていう景色を俺としては見ちゃって、それでその頂上から降りて来てそこでまた別の山をTHA BLUE HERBとして登って行く前に1回色々なビートメーカー達と仕事をしてみたいっていうのはこのタイミングしか無いなみたいな、そういうのがきっかけだね。新しい挑戦をしてみたいっていうのは思ったよね。
—–それで今回色々な方と実際に制作をしてみて今までに感じた事がなかった気づきや発見って何かありましたか?
特典ディスクも合わせて基本的にビートメーカーが14人でラッパーが6人で20人と対峙してきたわけで、20人それぞれみんな違うし、生まれも育ちもスタイルも違う中でひとりひとりと向かい合って調和させるべく制作していたんだけど、純粋にすごく楽しかったよ。
—–やり方が違うことへの違和感や抵抗はなかったですか?
全くないね。そりゃそうだって最初からわかっていたし、俺はレーベルオーナーもやっているからね。ひとりひとりと連絡取ってひとりひとりとお金の話をしたり、コンセプトの話もしたり、みんな凄く忙しい人達だし、そういうのを20人分同時進行で進めるのはちょっとしんどかったけど、でもそれ位のもんで、一旦音と言葉が揃ってしまったら本当にみんなレベルが高くて仕事も確実な人達だから最初から最後まで凄い楽しかった。
—–それだけ凄い人達が揃った場合だと、やればやるほど、進めれば進めるほど良くなっていくというのが見えた時にゴールを見極めるのが難しかったりはしなかったですか?
一曲一曲単位の作り方に関してはもうそういうレベルではないというか、これはココでバッチリっていうのを自分で判断する事はできるよね。でもそのアルバム全部の曲を並べた時に、例えば15曲あるうちのここの部分のこのハイハットの音がちょっと小っちゃいんじゃないかとかっていう感じでは、かなりそこは俺の中で凄くあるから、そこはMIXのTSUTCHIE君が本当に最後まで付き合ってくれて、凄い苦労をかけたなとは思う。ただ、ひとりひとりとの作業の中で俺はラップをやって彼らがビートを作って録音して合わせてみて、ココを抜いてこうして、アウトロはこうしてイントロはこうしてって作業に関しては『はい、これで完璧』っていうのは余裕で見えたね。
—–制作は最初にイメージを伝えて曲をもらってという流れで行われた感じですか?
それがほとんどだね。俺の中で最初にリリックが出来ている曲もたくさんあったんで、リリックを投げて、こういう感じの曲っていう内容もメッセージもあらすじももちろん投げて、あと、こういうビートが良い、BPMはこれ位っていうのも例をあげて投げて、それに先方が返してくれるっていうのがほとんどだったね。
—–今回リリックは先にできていたものもあるという事なのですが、先日DJ KRUSHさんにインタビューをさせて頂いた時にBOSSさんのリリックは曲を作る気力が湧いてくるっておっしゃってまして、
それは嬉しいね。
—–それで結構そこでリリックをもらってまた考えてみたいな事をするっておっしゃっていたんですが、逆にBOSSさんは曲を聴いてまた違ったイメージが湧いて書き直すみたいな事はないんですか?
それはもう無数にあるね。そのまま送ったリリックでいくこともあるけど、返ってきたビートにリリックで合せているうちにこれよりもっと良いリリックになるはずだって書き直した事だってあるし、全然それはいくらでもあるよ。
—–今回ビートメーカーが14人という事で、その中にポイントでO.N.Oさんを加えようって考えは全くなかったんですか?
全く無かったね。
—–それはどうしてですか?
だってそうなったらTHA BLUE HERBになっちゃうからね。
—–今回はヒップホップの代表的なアルバムを残そうといった意図もあるのかなと。
それはバリバリあるよ。
でもそこにO.N.Oが入らなくても、O.N.Oとはヒップホップの代表的なアルバムをいくらでも作ってきたからね。今度はO.N.O以外の人とヒップホップの代表的なアルバムを作ろうと思ったって感じだね。
—–今回バースを分け合う部分はあるのですが、1MC1DJといったこれまでの基本路線は保たれていますね。これはライブを念頭に置かれていると思って良いのでしょうか?
そうだね。まあでもやっぱりヒップホップのアルバムを作りたかったというのが凄い強くて、正直THA BLUE HERBの表現って確かにメンタリティはヒップホップなんだけど、特にO.N.Oのビートの作り方っていうのはサンプリングから逸脱してもっと自由に作っていこうっていうのが俺らの個性のひとつで、そこの振り切れ具合は俺たちは半端ないからね。それはそのものとしてオリジナリティとして繋がっていっているんだけど、同時にヒップホップって色々な形があるし今には今のスタイルがあるんだけど、俺的には制約の中で自由を競うっていうか、楽器も弾けない奴らが古いレコードから一個みつけてっていうような所もヒップホップのロマンだと思っていて、そういう事が凄い好きで、今回の人選はそうだからって選んでいる訳じゃないんだけど自然とそういう人が多くなってる。そうなってくるとやっぱり純正なヒップホップのアルバムを作りたいなと思って、だからライブがどうこうっていうよりは純正なヒップホップをとことん追求したかったっていうのはあるよね。だからサビには女ボーカルなんか呼ばないし、全部ラップとビートでやるって感じだね。
—–今回このアルバムに参加された方々っていうのはみなさん第一線で活躍されていると思うのですが、そういった方々も含めヒップホップのシーンに以前との変化を感じたりはしていますか?
でもそこ(シーン)に関してはさほど拘っていないっていうか、今回も第一線の人を選んで集めたというよりも、18年間のマイク稼業の中で、日本中数えきれない所でライブをやって出会った人達だから、その中で必ずどこかで曲を作ろうねって話を置いてきているわけで、そういう約束のひとつひとつを辿って、約束を果たしに行ったっていうのが凄く強いよね。
それと俺もチェックしていたけど、うちらのスタッフにこの人のビートが熱いとか教えてもらって、例えばNAGMATICとかPUNPEEがそうだけど、あんまり会ってちゃんとしゃべった事はなかったから、俺からちゃんとメールで自分が何者かを挨拶させてもらって是非お願いしたいって感じで実現した人もいる。けど、ほとんどはそうやって昔からつるんでいる人達だね。
—–最近は大きなフェスの出演などもあって色々なジャンルのアーティストと交流を持たれる機会も増えてきていると思うのですが、今後例えばパンクとか、ハードコアのバンドの方々と一緒にやれたらみたいな考えはありませんか?
それはあんまりないね。みんな凄い良い奴で凄い好きで、音楽ジャンル関係なく付き合っているけど、俺はヒップホップでヒップホップの代表で付き合っているし、ヒップホップをレベゼンしているわけで、ヒップホップしかできないし、ラップしかできないから、確かにパンクの人とかと何かしてみたいっていうのはあるけど、でもなんていうんだろうね、俺の本職はこっちだね。ここでこそ一番美意識を追究できるっていうか、確かに異種格闘技戦で混ざり合う事も好きだけど、ライブは特に俺はヒップホップ代表として闘いに行っているし、そこで勝負してそこで交流してそこで友達になっているっていう感覚が強いから、無理やり混ぜたいっていう風にはあんまり思わないね。
—–なるほど、確かにお互いの良さを消しちゃう可能性はありますね。そしてやはり言葉の部分の重要性ってあると思うんですけど、BOSSさんのリリックが持つ文学的な部分や哲学的な部分、そういった感性の基礎っていうのはどういった所から来ているのですか?
なんだろうね。本も読むし、映画も見るし、旅も行くし、まあ日常生活だよね。新聞も読むし。
—–例えば子供のころに読書感想文とかあったじゃないですか? そういった時にもすでにこういったアプローチをしていたんですか?
いや、覚えてないね(笑)
でも俺が言葉っていうものの面白さ、組み合わせの妙、力強さ、メッセージの重要性とかっていうのは確かに中学生位に初めて洋楽を聴いた時から惹かれていたし、ビートルズとかも対訳を読んで楽しんでいたしみたいな事はあるから、そういうのは自分の素養としてあるのかも知れないけど、本格的に自分のものとしてできるっていうか、自分の血のように言葉を流すっていうのはラップを知ってからだよね。
—–そこから年齢と共にご自身で変わってきているなって実感する部分って何かありますか?
年齢もそうだけど、その時代時代と共に変わってきているかな。それはそのまま年齢って事になるんだけど、THA BLUE HERBは4枚アルバムを出したけど、その4枚もそれぞれ全然違うし、その時々の置かれている状況っていうのも。その年齢年齢によって変わっていくその変化は結構そのまま出しているっていう感覚は強いね。
—–ライブの時は通常のリリックにない部分が凄く多いじゃないですか?そういうのはやはり経験と共に培われていっているのでしょうか?
そうだね。まあ全部そうだよね。ライブも制作も。
—–実際に経験がもたらす効果って具体的にどういった面でプラスに働いていると思いますか?
うーん、なんだろうな。でも少なくても例えば、ディスひとつとってみても、20代前半、俺はディスでのし上がってきた人間だけど、やっぱりそれによって失うもの、それによって停滞するものっていうのと、それによって得るもの、それによって何かプラスに働くものっていう違いを知っているし、それのある種の必要性も必要悪っていうか、それも知っているけど、そこからもたらされる弊害っていうのも身をもって知っているとか、そういう意味じゃガキには解らないよね。でも若さゆえの、何も知らない強みもそこにはもちろんあるからそういう行為の全てを否定はしないけどね。
—–自分が発した言葉がどういう風に動いていくか解るみたいな事ですね。
そうだね。そういう事はやっぱり経験していくと知っていくし、そうなってくると言葉選びももっとより拘るようになってくるし、伝え方、発し方、そこは随所に出てくるよね、経験という意味じゃ。
—–今、日本全国、各地にライブで行かれてご自身が置かれている状況が変化してきているなって実感することってありますか?
でも元々、そういう流行の最先端だったっていう時代はTHA BLUE HERBとか俺ら自身に無かった事もないけど、でもそれはメディアとかにのっかった流行っていうよりアンダーグラウンドでの流行で、その中に自分が一瞬身を置いた時もあったけど、それはホント一瞬の事で、わりと自分らはずっと小さい所も大きい所も含めて自分のペースありきでやってきているから、あんまり変わらないよね。それで各街に住んでいる俺らの音楽を聴いている人達もそれぞれ成長していくわけで、時間も経っていくわけで、例えばもう20年近くの付き合いの人もたくさん日本中にいるし、途中から入って来てくれた人達も含め、みんなやっぱり生活は変化していく。その中で俺らの音楽を楽しんでくれれば俺は全然OKだから、例えば子供が生まれて来なくなった人もまた落ち着いて戻って来たりだとかっていう感じの付き合いだよね。だから元々あまり世の中的に置かれている状況っていうのは考えずに来たね。
—–今後はこのソロでもライブをやっていく感じなのですか?
THA BLUE HERBでやるよ。
—–THA BLUE HERBの中でソロの楽曲も入れていくって感じですか?
うん、そうだね。だから12月からツアーをやる、THA BLUE HERBで。
—–じゃあ、予定としてこのソロアルバムのリリースの後は12月に向けて、
練習するよ、12月からライブはじまるから。
—–音楽以外の事に時間を費やす事ってあまりないんですか?
でもオフも音楽を楽しんでいるからね。自分の好きなレコードを聴いたり、クラブ行って踊ったりしているわけだから。
—–外を出歩く時も音楽聴きますか?
聴かないね。家で聴く感じだね。
—–聴く時はがっつり聴く感じなんですね。
そうだね。家でレコードを10時間位聴くからね。
—–さすがです。その他、今後の予定や展開として考えている事などありますでしょうか?
今は、このアルバムをどうやって一人でも多くの人に届けるかって事しか考えられないね。
—–わかりました。では最後にファンの方、このサイトを見ている方にメッセージをお願い致します。
KRUSHさんとの曲が一番明白なんだけど、あとYOU THE ROCK★とのもそうなんだけど、やっぱりその90年代後半から2000年代の頭に結構日本のヒップホップは盛り上がって、そこから時間が経って、その当時熱中していた奴らもみんな大人になって落ち着いているのが普通で、それはその流れまでは俺自身コントロールしようとは思っていないけど、それでも今年44に俺はなったんだけど、そこから見える景色っていうのもさっき言ったように経験。初期衝動も若さも持ってないけれども、それでもその時代に生きている事、みんな働いたり、子供育てたりって事すらも俺はカッコ良く歌う事に今はチャレンジしてるよっていうか、ヒップホップはまだそこから先でもまだまだ歌える事もたくさんあるし、それをすげぇカッコ良く歌おうとして俺はまだやっているよみたいな。だからその当時いた奴らでもしこれ見てたらちょっともう一回ヒップホップ信じて聴いてみなよって感じだね。
ヒップホップ以外の音楽が好きな人達はヒップホップっていうのは色々なスタイルがあるけど、今の日本のヒップホップってこれだからって感じだね。
リリース情報
tha BOSS [THA BLUE HERB]
『IN THE NAME OF HIPHOP』
2015.10.14 Release
Beats by (AtoZ)
DJ KAZZ-K [STERUSS]
DJ KRUSH
DJ YAS
grooveman Spot
HIMUKI
INGENIOUS DJ MAKINO
LIL’J
NAGMATIC
Olive Oil
PENTAXX.B.F
PUNPEE
Southpaw Chop
YOUNG-G [stillichimiya]
feat. (AtoZ)
B.I.G. JOE
BUPPON
ELIAS
YOU THE ROCK★
YUKSTA-ILL
田我流 [stillichimiya]
エンジニア: TSUTCHIE
収録曲:15曲
●限定盤●
CAT NO. : TBHR-CD-026
FORMAT : 2CD(インストCD付属)
発売日 : 2015年10月14日(水)
価格 : ¥4,000(税抜)
●通常盤●
CAT NO. : TBHR-CD-027
FORMAT : CD
発売日 : 2015年10月14日(水)
価格 : ¥3,000(税抜)
LABEL : THA BLUE HERB RECORDINGS
THA BLUE HERB RECORDINGS Official Website
http://www.tbhr.co.jp/
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