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ハンサム判治 INTERVIEW

ハンサム判治 INTERVIEW

Profile of |ハンサム判治|

とにかく凄まじい行動力とエネルギー!常に前向きな姿勢でシーンに君臨し続ける『ハンサム兄弟』の唯一無比天災ボーカリスト「ハンサム判治」氏から、個人的な活動や新しいバンドの事まで色々とお話を伺いました!必ず、一歩前に踏み出せるきっかけを与えてくれる事でしょう!


ハンサム判治 インタビュー

—–まずは出身を教えて頂けますか?

愛知県の豊橋!

—–あ、そうだったんですね。東京かと思ってました!こっちに来た流れというのは?

元々役者になりたかったもんで進学って言う理由で東京に来て直ぐに辞めた(笑)。

—–良く聞くパターンですね(笑)。

親父がファンキーな人だったから、『学校なんてもんは行って辞めるもんだ!』なんて言っとったし、そうやって教育されてたから真に受けて1年で辞めたら、親から勘当っていうね(笑)。

—–実行したら怒られたんですね(笑)。

そうそう(笑)。それで役者とか表現する人になろうって思ったんけど、音楽なんて一切やった事も興味も無かったんよね。

—–高校とかの学生時代も?

BOOWYとか清志郎さんとかは好きで、あとは親父が好きだったフォークとか、ジャズとかのブラックミュージックは良く耳にはしとったんけど、基本的にはバンドとかなんかやった事もなかったし。

—–となると音楽への道へ進み始めたのは?

最初は劇団とか見て回ったりしたんけど、ちゃんと基礎練習とかあったりするから結構地味じゃん?なかなか主役にもなれそうもないし。(笑)それで、友達がサークルでライブがあるっていうから、遊びに行ってその打ち上げのカラオケでワシ、声がデカイから裸になってキョンキョンを歌ったんね。「なんてたってアイドル」を(笑)。

—–なんだか想像出来ますね(笑)。

そしたら、そこにいた先輩とかに言われたの。『判治くん!ヘンリーロリンズみたいだね!』って(笑)。

—–あははは!やばいですねそれ!

ハンサム判治 INTERVIEW

それで俺そんなん知らんかったから、『ヘンリーロリンズ?誰?』みたいになってさ。『ほら!ニルバーナのカートコバーンが好きなバンド!』って言われても、『ニルバーナ?誰?』みたいな状況で(笑)。

—–(笑)。それが幾つ位の時ですか?

19歳の頃!それから高校の連れの家に行ってロリンズバンドの映像を見せて貰ったら、なんかムキムキの刺青だらけの外人が歌ってて。当時バンドマンのイメージってXとかああいうもっと長髪で細いイメージがあったから、『お!これなら俺にも出来るじゃん!』って(笑)。それから『ワシもバンドやるー!ボーカルやるー!』ってなった(笑)。

—–物凄く単純ですね(笑)。

そうなんよ(笑)。それで、今思えばラップだったんけど当時は叫んどるだけだと思っとった「レイジ・アゲインスト ザ マシーン」の名前と「ロリンズバンド」の名前を書いて楽器屋でメンバー募集の紙を張ってメンバーを探し始めたんだよね。

—–自ら探したんですね?

そうそう(笑)。でもそういうのってだいたいは連絡が来んもんじゃん?だから今度は募集してる紙をちぎって連絡したら、『ガンズとか歌える?』って聞かれて、『もちろん大好きっす!』って言いながらその高校の連れに、『ガンズってなんだ?』って聞くようなレベルだったもんで全然上手くいかんくて(笑)。

—–そりゃーいかないですよ(笑)。

当時俺、坊主でジャージで下駄履いとったしね(笑)。

—–坊主にジャージで下駄でガンズ!(笑)

ど酷いら?(笑)それで結局なんかの募集でまたレイジっていう文字を発見して連絡したのが最初に組んだバンドの相棒で、そいつと「バンブー(バカ兄弟)」ってバンドをやったんだけど、そのバンドは最後はまだ西新宿にあったロフトで解散ライブをやる位まではいったんよね。実質2年もやっとらんけど、ライブハウスレベルではかなり評価もされていいバンドだったんよ。ある意味伝説のバンド的な(笑)それが21歳とか22歳位の時かな。

—–結構急速な展開ですよね。

でもリリースも何もせんまま、ワーッと活動して解散。そんなに音楽もやるつもりも無かったから、その後は後楽園ゆうえんちのプロレスビアガーデンの料理長をやっとって。

—–また凄いところですね(笑)。

そうそう(笑)。もうバンドとかどーでもよかったんけど、後にハンサム兄弟のギターになるアノがまだ19歳とかの頃だったんだけどバカ兄弟のファンで、よくワシのビアガーデンに食いに来ててさ。俺もタダ飯とか食わせてあげたりしてて。そしたら、『もうバンドやんないんすか?』って。バンドって言っても基本ワシは叫ぶしかしとらんかったし、あ、でも今思えばラップだったけど(笑)、でもワシ的にはもうやらんかなって思っとったから、『うん?バンドぉー??』って嫌々な感じで。

—–なんか漫画みたい!(笑)

でも仕方なく1回スタジオに入ってみたらすげー最高なギターを弾いてさ。『えらいカッコいいなおまえ!』って。それでハンサム兄弟の前身みたいな形で二人でスタートしたんだよね。あれは確かビアガーデン中だったから1996年8月だったね。そのままスタジオに入りだしてアンチノックの深夜のイベントでライブをやったら結構いい感じでまたバンド熱が再燃。

—–元々判治くんって音楽に凄く詳しいわけじゃなかったんですよね?そういう判治くんみたいなスタンスを持ったボーカルがいるバンドって、どうやって曲とか作ってたんですか?

バカ兄弟の時からそうだったんだけど、ギターもそんなに巧くなかったけど、カッコいいリフとか印象的なコード進行を持ってきてくれとったんよね。そのギターに合わせて好き勝手に唄うっていうね。ハンサム兄弟の最初のギターのアノって奴は、未だに周りの奴らから残念な天才とか悲劇の天才とかって言われとるぐらいの天才だったんけど(笑)。ギターのセンスがマジでもの凄くて、そいつが天才的なリフを持って来てそのリフとかコードの世界観に誘われて勝手にメロディーが降ってくるってパターンか、ワシがアコギのローコードをかき鳴らして3コードとかでテキトーに作った歌モノをメンバーがカッコよくしてくれるパターンのどっちか(笑)。ハンサム兄弟の代表曲の「サクラ」とか「月並み」って曲なんかは、凄い印象的なリフを持って来てくれたからそれを聴いた瞬間にメロディーとか歌詞が誘われる様に出てきて唄いだして。で、その瞬間に泣く(笑)。

—–泣く?(爆笑)

『めっちゃいい曲だなこれはー!』って号泣(笑)。そういう一瞬でできた曲は今でも残っとるんだよね。

—–自分で作って自分で泣くって凄いですね。

ワシBメロとかCメロが好きじゃないもんで、スタジオでギターに一つのリフのループをずっと弾いて貰ってバンドでセッションしてそれに合わせてメロを作る。とにかくAメロとサビが同じコード進行が好きなんだよね。言葉のパワーと音圧だけでサビに持って行って世界観を作るのが好き。

ハンサム判治 INTERVIEW

—–なるほど。そしてハンサム兄弟と並行して、「デブパレード」が始まりましたよね。

ハンサム兄弟とか同世代のバンドとかはインディーで凄い良い時代を作ったと思うんよね。シーン全体がガーっと上がって行ったっていうかね。メジャーに行って勝負するバンドもあれば、ワシらはメジャーに行かずに勝負する事を選択したんけどさ。メジャーに行かんほうがカッコいいみたいな時代でもあったと思うし、実際メジャーのお偉いさんがライブを見に来たら全裸になったりとか、「僕は戦闘機」みたいな過激な曲ばかり演奏した上にMCでファックメジャーとか叫んで突き放したり(笑)。ライブだって年間150本~200本位やっとって全国的に名前だけは異常に売れたんよ。それこそバンドマン全員知っとるぐらい。でも、このままじゃダメだって気が付くじゃん?結婚もしたし嫁の親の手前もあって分かりやすい結果も欲しくなったし。実際バンドマン以外のあまり音楽を知らない人達との付き合いもあったりする中で、『音楽やってる』って言うとだいたい、『メジャーなの?』って聞かれてたんだよね。『メジャーに行く方が世間的には説得力がある?』って思い始めて。

—–でも確かにそれは分かりますね。しかも当時はまだメジャーとインディーに垣根があった時代でロックも今ほど浸透してなかったですしね。高校の友達とかに説明するのに、メジャーって言ってしまった方が早いし分かりやすい時がありましたよね。そんなに大きな問題では無いんですけどね。

そうそう。それで単純に『よし!メジャーに行こう!』ってなって、デブパレードをやる前に実は「smiles davis」ってアコースティックユニットでトランペット&ボーカルをやってて、NYのCBGBとかヴィレッジ・ヴァンガードとかでもプレイしてるんだよね。ロイハーグローブと共演しちゃったり(笑)

—–あ、そうだったんですね!

ボーカルがモデルとか女優やっとった女の子で、映像作家とワシと3人でアメリカに行く為に組んだバンド。それもメジャーな活動だったんだけど、ハンサム兄弟がアングラで熱い事をやっていたいっていうのとは別で、もっとズバリメジャーで堂々と勝負して売れる!っていうバンドがやりたかった。その当時は、もちろん本筋はハンサム兄弟みたいな熱いバンドだったんだけど、『自分のやりたいことさえやれれば売れなくてもいい!』っていうスタンスがなんか凄くかっこ悪いって思った時期で、『俺、売れます!』って堂々と言ってみたかったというか(笑)。それで、ちょうど体重が100キロ超えたもんで(笑)、100キロ超えのメンバーを揃えてデブパレードを結成して速攻メジャー契約をしてさ。

—–確かにあっという間に広がりましたよね。どこのライブハウスにもスタジオにもポスターが張ってあってインパクト大でした(笑)。

それで話がドンドン進んで、みんなが知ってる有名アニメの主題歌を唄った事で、『よし!任務終了!』みたいな(笑)。そもそもの目的がそれだったから。でも、なんだかんだ4~5年やったんだよね。で、結局デブパレードは解散。『さー痩せようか?』って(笑)。

—–任務終了でね(笑)。

『すいません!100キロ切りました。。。普通の男の子に戻ります!』って会見して解散(笑)。それが2011年の2月かな。

—–結構企画物のバンドだったんですか?

しっかり企画してテンポ良く進んだバンドだったんだけど、メンバー集めたのも自分達だし、企画を練って仕掛けたのも自分達だし。ワシがSPEEDの今井ちゃんとか島袋ちゃんのキーを唄えたってだけの理由で冗談でやったSPEEDのカバーがメジャー第一弾のシングルだったり(笑)。もう滅茶苦茶(笑)。

—–滅茶苦茶ですね(笑)。

ワンマンのネタとして遊びでやったSPEEDをソニーが気に入っちゃってメジャーデビューしちゃうとはね(笑)。

—–でも、それ位振り切らないとっていうのはありますよね。

そうなんよ。もう『売れてやる!』って宣言しちゃったからさ。お陰さまで「HEY HEY HEY」に出て浜ちゃんにど突かれまくったり、ゴールデンの連続ドラマで役者やったり、「NARUTO」の主題歌も歌えたし、『これ、本当に売れちゃうパターンだ!』って当時は本気で思ったよ。

—–結果的に解散と。

芸能界に小さい爪痕は残せたと思うし、ある程度の結果は出したけど、結局オリコン1位を獲得出来たわけじゃなかったし、言ってしまえば、挫折感しかなかった。当時は失敗したっていう思いしかなかったけど、今思えば全然成功だったんけどね(笑)。何を思い上がって勘違いしとったんだか(笑)

ハンサム判治 INTERVIEW

—–ハンサム兄弟からデブパレードの流れで、周囲の反応は?

やっぱり『なんでハンサムやらないの?』って身近な仲間からもけっこう叩かれたりもしたけど、『いや、今はメジャーで勝負したいんだよね!』って雑音は無視。実はハンサム兄弟も全然動ける状態じゃなかったし、ハンサム兄弟をもっといい感じでやる為に1回デブパレードで結果を出すっていう思いもあったんだけど、それはメンバー全員がそういう思いでは無かったわけでさ。ハンサム兄弟の全盛期を一緒に作った大事なメンバーが脱退しちゃったり、周りにも色々言われたりもしたからデブパレード解散前後とかはしんどかった時期ではあるかな。

—–それでその解散後、結構自転車を乗り回しながらライブをやっておりますが?(笑)

オリコンで一位取れなかった敗北感とか、バンド解散とか色々あって自転車で日本一周の旅でもしようかなと(笑)。その前に単純に自転車好きでキャンプも好きってことでバンド解散前の辛い時期に自分でテントとかギターを全部自転車に積んで東京から名古屋まで箱根を越えて旅しながら毎日ライブをするってのをやっとったんだよね。それで4年前の3月8日に「TYPHOON24」の「ミヤちゃん」の追悼ライブにハンサム兄弟で出た後は全く予定が白紙だったもんで今度は東北に自転車で行こうと思って東北の仲間に色々コンタクト取ったり、行った事のない原発辺りの沿岸部とかを調べたりしてたら。。

—–東日本大震災が起きたんですね?

そうなんよ。もう気持ちは東北に行く気満々だったしルートもある程度決めてたし。それで、高校の先輩が自転車を輸入しとるモトクロスインターナショナルって会社をやっとって、被災地で地元の人が移動したり物を運んだりするのに自転車が必要だろうって事で、100台位自転車を提供してくれて、それを東北に届けさせてもらうことになったんよ。

—–え?100台もですか?

そう。荒地でも走れるマウンテンバイクと荷物を大量に積めるロングテールバイクとかを100台以上も提供してくれたんよ。その流れで福島第一原発がある大熊町の人たちの避難所にまず行く機会をもらって。当時はまだもちろん外部の人間は避難所にも入れん時期だったし、音楽とか出来るような雰囲気じゃない時で。それで、現地のボランティアの人達が食事の用意をし出したから手伝ったりしてたら、ワシこんな風貌だし、「お兄ちゃんって何をしてる人なの?って聞かれたもんで「バンドマンです」って。

—–確かに気になりますね(笑)

「身体が大きいからドラマー?」って(笑)。歌を歌ってるって言ったら、『どんな歌?歌って歌ってー!』って言われたから、NARUTOの歌を歌ってるって言ったんね。その人はお母さんだったんだけどバッチコイを知ってくれとって、しかも今朝子供たちが観てたっていう偶然。それですごい盛り上がっちゃって。『なんだこれ?』って。

—–それ凄いですよね。今までやって来た事が、しかも売れようって思ってやった事がこういう所で力を発揮する。もし判治くんがNARUTOを歌ってなかったら、そこで話は終わってたかもしれない。

そうなんだよ。ちゃんと繋がっとるんだよね。それでそのお母さんがたくさん人を集め出して、『ここで歌って!』って。そのNARUTOの曲の「バッチコイ!!!」のサビとバンドを始めた前からずっと唄っとる「人生大丈夫ンブンブン」って曲を厨房で唄ったら議員さんみたいな偉い人も聞いてくれてグッと来ちゃったみたいで、『是非今みたいな感じで避難所でも歌ってくれませんか?』って。

—–入れなかった避難所ですね?

そう。でもその人が話をして避難所に入れるようにしてくれて、避難所のブルーシートとか毛布とか段ボールが敷いてあるところでギターを持って唄わせてもらったのが被災地で唄い始めたきっかけ。最初は大人達は不審そうな顔をしとったんけど、すぐに子供達が集まってきてくれて元気に騒ぎ出したら大人達も笑顔になってくれてNARUTOの歌で盛り上がったり。そこにいたお父さんも、『その曲カラオケで歌ってるよー!』って言ってくれたり。デブパレード解散での敗北感というかモヤモヤしていた気持ちが、『なんだ!デブパレードやって良かったんじゃん!』って思えた瞬間でもあったんよね。

—–まだ辞めて間もないですしね?

解散から1ヶ月とかだったかな。そこで出会った人達の親戚とか友達が気仙沼とか郡山に居ったりして繋がってって、被災地に毎週のように通って数日滞在して、東京に戻ってはライブしてまた東北に行くみたいな生活が始まったんよね。

ハンサム判治 INTERVIEW

—–判治くんの人生ドラマチック過ぎますね!

だら?まさかこんなことになるなんてね。そんな中、福島県の南相馬出身のヒップホップクルーが立ち上げたBOND&JUSTICEという支援隊と出会って、炊き出しを3万5千食以上やったり物資を210トン届けたりと今でも精力的に活動しとる奴らで、ジャンルは全然違うんだけど意気投合してさ。『判さん、一緒に島いきましょう!』って松島湾の桂島の炊き出しに誘ってくれて一緒に現地に行って炊き出しを手伝いながら、『そろそろ一発歌ってください!』ってギターを持って歌ってまた炊き出しをするみたいな活動を震災直後から何度も。

—–すごい。。

そんでそういう活動を何回かしてたある日、支援物資でいっぱいだった車にギターが入らなくてさ。困ったなって思って何気なく家にあったウクレレを手に取ったというね(笑)。

—–なぜそこにウクレレが?(笑)

バンドとか始める前にさ、ギターと間違って買っちゃったんだよね(笑)。

—–ははは!

欲しいギターが4万5000円かと思って買いに行ったら45万円で買えんくて(笑)。5万しか無かったし8000円だったウクレレを購入(笑)。買ってから一回位しか使っとらんくて全く弾けんかったんけど取り敢えず持っていこうと。

—–まさかのウクレレの出番!

ウクレレってギターと違って4弦が細いのね。でも買った当時はよくわからんくてベースみたいに4弦を一番太くしてたから、車の中で弦を張り替えて。そんでiPhoneでウクレレのコードを調べたら結構簡単に「人生大丈夫ンブンブン」とか「バッチコイ!!!」とか弾けたから、そのまま現地でウクレレ持って歌ったらギター以上に面白がられて。

—–確かに見た目とウクレレのギャップが(笑)。

面白いら?しかもウクレレにまつわる懐かしい思い出話とかをおじいちゃんとかおばあちゃんがしてくれたり、子供に渡しても小さいから持って走り回って歌ったりして遊べるし。『なんていい楽器なんだ!』って(笑)。120キロのワシが持っても子供が持っても遊べるし、おばあちゃんは若いころのハワイアンバンドにまつわる恋話をしてくれるし(笑)。それで帰ってからネットとかで色々調べてたら、『ウクレレを被災地の力にしたい!』っていう記事を発見して速攻メールしてさ。

—–どんぴしゃですね!

そうしたらそこが「ローリングココナッツ」っていうフリーペーパーでそこが「キワヤ商会」っていうフェイマスウクレレで有名な日本で一番老舗のウクレレ会社を紹介してくれて。ちょうど持ってたウクレレもフェイマスで子供に投げられて壊れちゃったもんで(笑)、それを持ってキワヤの社長に会いに行ったら新しいウクレレをくれたんだよね。その時に、『ウクレレを被災地に届けたいんだけど、邪魔になっちゃうかもしれないしどうしたらいいかな?』って言ってもらって。

—–流れが完璧過ぎますね。

ちょうどその直後に気仙沼とか陸前高田に行く予定だったから、『そのウクレレの使い道、目茶目茶あります!』って最初10本位届けさせてもらって。

—–最初自転車運んでたのにいつのまにかウクレレに!

しかも気が付いたらウクレレ大使なんて称号も頂いちゃってKONISHIKIさんとか高木ブーさんとかと一緒のステージで演奏させてもらったり。そんでサザンのベースの関口さんって実は日本のウクレレ界のリーダー的な人なんけど、ワシのライブを見てくれて『やばい!最高でした!』なんて言ってくれたりして、『こりゃエライことになったな』って。そんで本気でウクレレ大使の名に恥じないようにジェイク・シマブクロ風のテクニックを練習したり色々必死になって勉強したんよね(笑)。

—–そうなるとギターは持たなくなりました?

ほとんど持たなくなったね。元々ギターもソロを弾くわけじゃないしむしろ歌う為のガイドみたいな感じだったから弦が4本になっても困らないんだよね。実際みんなには、『また大将の悪い癖が始まったよ!』ってウクレレなんかすぐ辞めると思われてたんだけど。でもなんで続けてるかっていうとね。ワシって基本楽器無しのアカペラでも勝負できる声量じゃん?(笑)。で、ギターとかあるだけで十分バンドに対抗できるんけど、ギターだとドンシャリ音だもんで声とぶつかる気がしとったんよ。でもウクレレの音だとワシの素の声とちゃんと分離して聴こえるみたいでさ。音がクリアーに出る上に、ちゃんとコードのガイドをしてくれてワシの声の邪魔をしないっていうね。それと、人がたくさんおる場所とかでギターを弾くと意外と音が吸われちゃうんだよね。実はウクレレの方が雑踏だと音が抜けやすくてギリギリコード感が聴こえることが多い。しかも小さくて持ち運びに便利だし。もうワシの活動にピッタリ過ぎてウクレレばっかになっちゃったんよ。

—–しかもハワイ的な要素はほとんど無い独自な使い方ですよね。

ハワイは体格位(笑)。

—–それで今はウクレレを持って自転車で色々周ってるんですか?

全部が全部そういうわけじゃないけど、自転車に荷物積んで旅するのが趣味だもんでウクレレだと小さくて便利なんよ。

—–去年の青空campっていうイベントでは、富士山まで自転車で来てましたよね?衝撃的でした(笑)。

行ったねー!途中富士山が見えると止まって歌ったりしながら辿り着いた(笑)。

—–凄いエネルギーですね。。。そして最近新たにバンドを始めましたよね?

ハンサム兄弟でガンガン動ければいいんだけど、なかなかメンバーの足並みも揃わなかったりっていう中で、被災した人達が新たに家を建てたり、宮城の七ヶ浜の仲良しのおっちゃんなんかは仮設商店街でずっとラーメン屋をやっとるんだけど、『判ちゃん!土地決まったよ!俺新しく家と店建ててまた1からラーメン屋始めるよ!』って、今年の秋に仮設じゃない自分の店舗で再スタートするんだよね。『やったじゃん!おっちゃん!』って凄く嬉しかったしさ。でも実際、家を流された人でも無償で家を建てれるわけじゃないし、その「夢麺」っていうラーメン屋のおっちゃんは56歳なのに何千万っていうローンを背負ってまで夢を追いかけようとしててね。もちろんすげー嬉しいことなんけど『なんで被災したのにローン組まされなきゃならないんだ!?』って凄く複雑な思いにもなってさ。こんな話を身近で聞かせてもらったり、自分もこうやって東北に深く関わる事が出来て、その関わった人達がすごく辛い思いをしたのに前を向いて頑張っとる姿を見て、自分ももう一回バンドでデカいステージに挑戦したいって思ったんだよね。それが昨年の10月の話で。

—–ソロっていう形なんですか?

名前は「HANZI BAND」ってソロっぽいんけど全然ソロバンドではなくて、固定メンバーでの生き物としての「バンド」。ドラムはデブパレードのドラムのTAH。あいつの140キロ級の爆音ドラムが忘れられんくて(笑)。

—–まだ140キロなんですか?

まだそうだね(笑)。相変わらず凄い音出してるよ(笑)。で、ベースは「pocketlife」ってバンドの若い奴でそいつがヤバいギターを連れてきてくれて遊びでスタジオに入ってクイーンとツェッペリンとハンサム兄弟の曲を4曲位カバーしたら、ドラムはもちろん相変わらずな爆音で最高だった上に、若いギターとベースが物凄い良くてさ。アノ以来の天才ギターだ!って久々に興奮した(笑)その次の週に、『今のワシの唄をこのバンドでやってみたい!』って、ちょっと前に作ってウクレレで唄っとった「あかさたな」って曲をバンドアレンジでやったら、凄いグッと来ちゃって泣きそうになって。その1ヶ月後に自分のソロのライブの枠があったもんでそこでHANZI BANDとして初ライブをやったらいい感じに盛り上がっちゃってね。何が良かったってその若いギターとベースの2人が、『すげー良かったっす!この勢いで音源を録りませんか!?』って、『はえーな!』って思ったけど(笑)、若いメンバーが凄く積極的になってくれとるのが嬉しかったんよね。

—–ライブで何か感じたんでしょうね!

今までのキャリアだと基本的にワシが、『これやろう!あれやろう!』ってワンマン的にバンドを引っ張ってきたんだけど、HANZI BANDは若い2人も熱くなってくれとるのが凄く嬉しいしバンドとして最高な状態なんよね。ワシがウクレレで作る唄以外にベースとギターで曲のネタを作ってスタジオに持ってきてくれたりもするし。

—–音源も良い意味で凄く荒くてストレートですよね!

そうなんよ!こういう音を凄く作りたくてさ!初期のハンサム兄弟とかがまさにそうだったんだけど、ギターは男らしく一本で、声も重ねとらんし、ボーカルも含めて一発録りが理想。ライブで再現出来る音だけで録るのが好きなんよ。でも何十回もレコーディングして段々キャリアを重ねると色々なテクニックを覚えちゃって、『ギターはいったい何本重ねたんだ?』ってなっちゃう事あるじゃん?(笑)それはそれで楽しいしいい音源にもなるんけど、このHANZI BANDの音源では原点に戻って初期衝動の爆発を真空パックしたいんよ。実際凄く楽しかったしハッスルしちゃったよ(笑)。

—–相変わらず全開ですね(笑)。

だってさ、もう結構いい年だし、周りの同世代でも死んじゃった仲間もたくさんおるし、実際いつ死ぬか分からんじゃん?こんな唄い方しとったらライブ中いつ血管が、『プチッ。。』ってなってもおかしくないからさ。それに被災してもなお頑張っとる人達の姿を間近で見せてもらう機会が多くて、自分に対する焦りもあったし。可愛がってもらっとったガーリックボーイズ先輩が活動休止するとかさ、そういうのを目の当たりにするともう意外とそんなに時間もないんだなって思うようになったんよね。『今すぐ動かんとやべーんじゃん!』って。

—–あの当時からもう20年位経ってますしね。

もうそんな経つんよね。でもやっぱりバンドを始めた頃の初期衝動って大事だし、元々ワシなんかカッコイイ「ミュージシャン」なわけじゃないからね(笑)。ただ声がデカくて力持ちな暴れん坊(笑)そんなワシが今やりたい事が今のハンサム兄弟で必ずしも出来るわけじゃないから、そういう部分をこのHANZI BANDでやりたいって思いもある。キャリアがあるバンドだと自粛しちゃうような愚直でダサいメッセージでも、今まさに唄いたい唄ならバンドで唄いたいんよ。

ハンサム判治 INTERVIEW

—–でもやっぱり判治君が歌えばオリジナリティーあるバンドになりますよね。

ほんと超絶ダサいからさ(笑)。そのワシのダサいけど圧倒的な溢れるパワーを、『さーバンドとしてカッコよく料理して貰おうか?』っていうスタンスはハンサム兄弟の前のバンドから変わっとらんからね。

—–そうなると今はソロでガンガン唄い、新しいHANZI BANDでも大忙しですが、今後の事はどう考えてるんですか?

今思っとるのは、石にかじりついてでも“仕事”として自分の音楽をやるってスタンスに拘りたいんよ。アイドルとか若いアーティストのプロデュースをやっとるのもそういう気持ちから。自分が関わってきた音楽がお金になるんだったら、どんな事でもチャンレンジしてみたいんよね。逆にHANZI BANDはたとえ今すぐに金を生み出さんくても、純粋にオモロイと思える事だけをやりたい。メンバーみんなが初期衝動を爆発させて好き勝手に悪ノリできれば『やっぱ、やべーな判治さんのバンド!』って思ってもらえるはずだし、そんで気がついたらデカいステージに立っとるってのが理想。

—–それが最終的にはお金にも繋がってって事ですね。

うん。この歳で音楽中心に生活していくつもりなら音楽で稼がんとダメだと思うし、バンドでもう一回でかいステージに立ちたいしね。バンドが本業だし、バンドマンとして大きな舞台で、『うぉぉぉぉ!』ってやりたいよね(笑)。若いギターとベースの2人のキャリアも引き上げてあげたいとも思うし。でもHANZI BANDはとにかく初期衝動を爆発させたいってのが一番。それとはまた別で仕事としてアイドルを手掛けたりする中で、『ワシの曲を10代の女の子が歌うとこんなにかわいくなるんだ!』的な新しい発見や出会いもあってオモロイんよ。

—–デブパレードの時の、『売れたい!』っていうのとはちょっとまた違う感じですよね?

デブパレードを分割した感じだよね。あれも悪ノリだったけど、『絶対に売れるぞ!』っていう思いでやってたから。HANZI BANDは売る為の計算とか無しの悪ノリ(笑)。でも今までのキャリアを超えちゃう予感があるんよ。

—–確実に当時に比べたら、引き出しが色々広がってますしね。

確かに。ウクレレ持ってヒップホップのイベントにも出てるからね(笑)。

—–(笑)。でもヒップホップとバイブスは近い気がします。

ヒップホップの曲って基本コード進行もシンプルなループだし、『かーちゃん!』とか熱く歌ったりするから、根本は同じなんかもね。テキーラガールとかTバックのねーちゃんとかいるクラブで「人生大丈夫ンブンブン」とかをいつも通り唄ったりしとるんけど、もちろん最初はみんな、『何これ?え?ウクレレ?ウケる!』みたいな感じなんだけど(笑)、いつものテンションでガーっと唄うとさ、その子達も泣いてくれるんよね。やっぱり伝わるんだなって。

—–きっと何の躊躇も無く振り切っちゃってるから伝わるんですよね。何かを言わせる隙が一切ない。

若いラッパーにも『バイブスやばいっす!』って言われるしね(笑)。昔からアウェイって無かったけど、震災直後の被災地で唄わせてもらった経験に比べたらもうどこでもマイホームみたいなもんなんよ。歌い手としてあんな経験はもう2度とないって思うし、あんな事が2度とあって欲しくない。

—–そういう緊迫した中で歌うって、言葉選びも考えるだろうし、物凄い経験ですよね。

YOUTUBEで観たってだけの人とかから叩かれたり炎上もしたけど、そこの現場の空気を知ってるのは自分だけだし、その現場で歌っていいのか悪いのかは自分にしかわからんことだでね。軽い気持ちで唄えるような状況じゃないってことは現場におった自分が一番わかっとることだし。少なくとも誰よりもデカい声で唄うことで誰かが少しでもハッピーになれるんならそれに越した事はないんよ。

—–確かにそうですよね!

一回さ、避難所で『沖縄の「花」って歌を歌って』っておじちゃんに言われてね。ワシもコードとか歌詞をちゃんと知らんかったからネットで調べて見ながら歌ってみたら曲中に、「人も流れて。。」っていう歌詞が出てきて。そのおじちゃんの奥さんも津波で流されちゃったって聞いとったからそこの部分で止まっちゃって。。でもさ、そのおじちゃんが、『いいんだよ!あんちゃんのそのでっかい声でズバっと歌ってくれよ!』って。そんなこと言われたらワシも歌うしかないじゃない?そんで腹をくくってデッカい声で歌ったら、『ありがとな!あんちゃん!』って。。何とも言えない気持ちになったけど、でも音楽とか唄ってやっぱすげーなって思った。言葉で言うと安っぽく聞こえるかもしれないけど、一度音楽で挫折した自分がいて、そんな中で自分がやってきた事や自分の唄の力を改めて認めて貰えたっていうかさ。自分の唄が少しでも誰かのためになるってだけで嬉しいし意味があるんだと思ってガムシャラに唄いまくっとった。

—–そういう経験してたら、歌い手としてもう最強ですね。

凄い経験はさせて貰ったよね。あと、震災後初めての花火の日に炊き出しをやってて、ライブの出番が来たんだけど炊き出しが忙しかったから後回しにしてもらったんだけどさ。炊き出しが落ち着いてやっと唄おうと思ったらちょうど花火が上がる時で会場のみんなは花火に夢中だし、1000人規模のイベントでマイクはもう使えんし『さすがに、きっついなー』って(笑)思ったけど主催者に唄ってくださいって言ってもらったからには大声で歌うしかないじゃん?花火がドンドンあがる中、会場を練り歩きながら中高生とかを巻き込んでったらなんとか盛り上げれて。こんな経験は本当にもう出来んと思う。

—–やっぱ判治くん凄い。凄いの一言しか言えない。とくに言葉が凄くダイレクトに入ってきますよね。

昔から結構まっすぐな唄をうたっとる様に思われがちだけど、実は意外とひねくれた観点から表現してたと思うんだけどさ、でも最近は例えば『YOU MAY DREAM』みたいにズバっと言えちゃう歳になったんだよね。もっと直球に分かりやすくね。HANZI BANDはそういう事が出来るバンドだし、ソロもそれがやれる。もう20年以上唄っとる「人生大丈夫ンブンブン」なんかも、すっごいダサイ曲だと思うんだけど、言葉とか音楽センスを超えた凄いメッセージがあるって信じとるんよね。そういうワシを見て、『あ、夢を見ていいんだ!』って思ってもらえるような歌い手になればいいんだって。だからまた更に振り切ったよね。『ダサくていいよ。じゃーダサさで勝負するか!』ってね(笑)。

—–昔は直接的な事を言うと照れなんかもあったんでしょうね。

そんな照れとかよりも、今はもっとデカイものがあるっていうかね。もちろんハンサム兄弟みたいな捻くれた表現もワシの本質の一部なんけど、今は言葉がポンっと出て来てそれがグッと来ちゃったらそれでいいじゃんっていう領域に入ったんだと思う。

—–今後どうなっていくかが楽しみですね!

生きてる間はずっと唄っとると思うし、歳とって高い声がきつくなったら下げりゃーいい話でね。そうなったらそうなったで渋くてモテちゃうんだらーね(笑)。ワシなんかは、例えば昔凄い売れてたバンドのボーカルで解散してソロになってもまだ当時のファンがたくさんライブに来てくれて頑張らなくてもチヤホヤされる様なアーティストではないから(笑)。今この瞬間を頑張るしかないんよな。
そーいえばBro.HI(ex.SOUL’d OUT )とのコラボシングルがEdge Player Organization名義で近々リリースされるもんで期待しとって。

—–楽しみにしてますね!今日はありがとうございました!

ありがとう!

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ライブスケジュール

2015/06/07 宮城女川我歴STOCK
2015/06/27 奄美ボンジャス企画
2015/06/28 奄美ボンジャス企画
2015/07/02 下北沢ReG
2015/07/06 町田プレイハウス
2015/07/18 南青山レッドシューズ (HANZI BAND)
2015/07/20 下北沢CAVE-BE(ハンサム判治と自転車操業ズ)


ハンサム判治オフィシャルサイト
http://www.han363.com


Interviewed by Kenichi Kono


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