LESS THAN JAKE(Roger、Buddy)× KEMURI(伊藤ふみお)インタビュー
これまで幾度となく共演を重ねてきた日米を代表するスカパンクバンド、LESS THAN JAKEとKEMURI。
LESS THAN JAKEから、ベースのRoger氏とトロンボーンのBuddy氏、KEMURIからはボーカルの伊藤ふみお氏、進行役には、I Hate Smoke Recordsの大澤氏が顔を揃え彼らの出会いから、20年以上に渡り活動を続ける両バンドが持つエネルギーの源、シーンの変動や今後の展望まで、リラックスした中にもこれまで積み重ねてきた時間や良好な関係が伺える濃密な対談が実現した。
2017年3月28日(火)、恵比寿LIQUIDROOMで行われたライブフォトと共にご覧ください。
LESS THAN JAKE @ 恵比寿 LIQUIDROOM (2017.03.28) – PHOTO REPORT
http://pic.a-files.jp/lessthanjake20170328
KEMURI @ 恵比寿 LIQUIDROOM (2017.03.28) – PHOTO REPORT
http://pic.a-files.jp/kemuri20170328
LESS THAN JAKE(Roger、Buddy)× KEMURI(伊藤ふみお) Interview
伊藤ふみお(以下、F) : 日本には何回来たことがあるの?
Buddy (以下、B) : あああえっと・・・
F : 初来日はいつ?新宿にあったリキッドルームでやったとき?
B : 1998年だな
Roger (以下、R) : ここではライブしたことないと思う。スーサイド・マシーンズと一緒にまわったよね。
B : リキッドルームでやった事はあるけど、ここだったか違う場所だったかがわからない。
F : 新宿にある時のリキッドルームでライブやってたよ。
B : そっか、なるほどね、ここじゃないけどリキッドルームではライブしたことあるって事ね。
F : 1998年にね。
R : それが初めてだと思う。
B : 1998年にスーサイド・マシーンズと来日したやつだ。
F : スーサイド・マシーンズ?
B : うん、4つか5つ彼らと一緒に日本でライブしたんだよ。
R : そのツアーでは東京は大阪以外の場所でもライブやれてちょっとラッキーだったな。もっと小さい都市に行ったり、たとえば・・・
F : 福岡みたいな?
R : そう!福岡
B : よく覚えてるよ、日本についてから国内線に乗り換えたんだけど、当時まだ日本の飛行機内でたばこが吸えて、アメリカの飛行機では吸えないから、ローディーだったショーンが「タバコ吸えるぜ!」ってめっちゃ喜んでた。あと機体の前方にカメラがついてて離陸と着陸が映像で見れて驚いたよね。たぶん福岡とあと名古屋でもライブやったんじゃないかな。
R : 日本で2週間ツアーしたこともあるよ。
B : 3週間のツアー1回と2週間のツアー1回やったよ。
F : 福岡で一緒にやったバンド誰だったっけ?
R : アストリア
F : ほらあのトロンボーンのさ~
B : リッツ?
F : りっちゃん!!そうそうりっちゃん!
R : 彼女は俺たちの一番のファンみたいなもんだよね、どこだっけ?ライブにきてたよね。
F : そうだ!
B : まだ彼女はカナダにいるの?
R : うん、カナダに住んでる。
B : トロントの学校に行っていて、いろんな所のライブに現れるから「なんでここにいるの?」って聞いていたよ。それからユウジもアストリアだよね。
F : そうそうユウジ、良いやつだよね。
R : 良いやつらだよ。インタビューは始まっているの?
B : あれ?もう始まっているのかと思った。
F : Osawa17くんはセンセーションズってバンドのボーカルなんだよ、クレイジーなバンドでね、とても人気もあって、昔ユナイテッドスケイツってバンドをやってて10年か15年くらい前に一緒にライブもやったことあるんだ。
B : つまり君も年取っているってことか(笑)
F : そうだね、彼も長く音楽をやっているね
R : いいね~!
Osawa17 (以下、O) : よろしくお願いします!!まずはレスザンジェイクとケムリの最初の出会いについて教えてください!
F : コロナだったよね?
B : どこだったか覚えがないけどヴィニー(Dr)に話かけてて・・・
R : ふみおはアメリカへ冒険しに来ていたんだよな?
F : そう!
R : 一緒に俺らとまわったりしたよね。
B : バンに乗っていろんな所行って、タコベルのドライブスルーにも寄ったり
R : 何年だっけ?
B : 1996年? 1995年?
F : 1996年の1月だなぁ、ひとりでその時ね、なんだっけ名前?
B : ショーン?
F : 違う、違う、ダリル?Stiffed Dog Recordの。
R : あ~そうそう!!
B : 彼が俺らを引き合わせてくれたの覚えてるよ
F : 友達がいて、レスザンジェイクを知っていて、たしかレスザンジェイクがちょうどアルバムをリリースした時じゃなかったっけ
B : Pezcore ? 7インチ?
F : Dill Recordsから7インチとアルバム?
R : Pezcoreだよ
B : Pezcoreを出したときだ!
F : レスザンジェイクが凄い人気あって見にいって、でそのダリルっていうカリフォルニアで小さなStiffed Dog Recordっていうレーベルやっていた友達が連れて行ってくれて、紹介してくれた。
R : レスザンジェイクをはじめたばかりの頃は、俺たちの知る限り、ホーンセクションとパンクロックを融合させたようなバンドはあまりいなかった。ほんの数バンドしかいなかったんだよね。
B : あと覚えておかないといけないのは、インターネットが普及する前の話だから今みたいにたくさんのバンドや音楽を探すのも簡単なことではなかったんだよ。だからふみおが俺たちに会うのも俺たちがふみおに会うのも人伝だったんだよ。
F : ファンジンってやつだよね、ああいうのでいろんなレスザンジェイクのニュースを見て、でライブに行って、コロナでやったショーケースだった。
B : んっと、だれと一緒にやったんだっけ?覚えてないな~スーサイド・マシーンズだっけ?
F : リール・ビッグ・フィッシュじゃない?
B : リール・ビッグ・フィッシュかも、スーサイド・マシーンズとも一緒にプレイしたけど同じ場所じゃない。リール・ビッグ・フィッシュの昔のベースのロイスがアンプに倒れ掛かってアンプをステージから落としちゃったこと覚えているよ。
F : セイブフェリスいうバンドとね、リール・ビッグ・フィッシュもやったんじゃないかなーと思うんだけど、本当にもうショーケース用の劇場だから、300人ぐらい?
B : そう小さかった
F : 超満員で、レスザンジェイクは一番人気でもう凄いことになっていて、僕は客席からダイブしたり、オーー!!!とかいって
B : サークルピットにいたよね?
F : そう、ただのファンだった。そいでなんか仲良くなっていって。
O : 初共演は98年だったんですか?
B : スカ・アゲインスト・レイシズム・ツアーじゃない?
R : 1998年のスカ・アゲインスト・レイシズム・ツアー?
B : そう98年の
R : マイク・パークとかすごくたくさん良いバンドが出ていたよね。あのツアーで一緒にまわった人たちのことは忘れないよ。
B : MU330やファイブ・アイロン・フレンジー、レスザンジェイク、ケムリ…
F : ザ・トースターズ
B : そう!ザ・トースターズ、それから ザ・ブルー・ミーニンズ
F : ザ・ブルー・ミーニンズ、そうそう!
B : ちょっとずつ違った感じのスカ・バンドが出てた。
F : 7 バンドね、一緒にツアーまわった、40回ぐらいやったよね?
B&R : すげー長いツアーだったよ
B : 8週間とか7週間つづいたよね確か。俺たちのレコードにも収録しているムスタッシュ(口髭)ソングが生まれたのもこのツアーだった。(みんなでムスタッシュ(口髭)ソング 合唱)
B : だれだったけ?ザ・トースターズのサックスプレーヤーだっけ?彼の口髭をさ半分そっちゃったりしなかったっけ。
F : シンコ・デ・マヨっていうメキシコのお祭りにひっかけて、ちょうどそれがツアー中で、シンコ・デ・ムスタッシュって口髭をはやすっていう祭りに変えようってレスザンジェイクのメンバーが言い始めて、ツアーで共演していた出演者がみんなこういう口髭を、その祭りの日にむかって2週間ぐらい口髭を生やして、あやしい。。。
B : そのツアーでセントルイスでやったときだよ。MU330の連中が彼らの裏庭でバーベキューパーティーを開いてさ、みんな酔っ払ってて。シンコ・デ・マヨの話になってシンコ・デ・ムスタッシュってアイデアが浮かんで、やろうぜ!ってなった。
F : そうそうそう、楽しかったな、それが最初のツアー
O : レスザンジェイクがケムリのショーを初めて見たとき、又、曲を聴いたときどういう印象を受けましたか?
B : もう楽器をプレイするのを諦めてバンドをやめようと思ったよ。
F : (笑)
B : 良すぎる!日本人は何をするにも献身的だよね。ギタリストでもサックスでも常に練習していて、すごい上手い。アメリカ人はというと「いかに練習しないですむか」っていうことを考えちゃっているから(笑)とにかく感動したよ。
F : まあそういうけどね、でもスカパンクという新しいね、レスザンジェイクの前はスカバンドはみんな…
B : トラディショナルだったからね、スカの第2世代的な、俺たちは第3世代だな。
R : そうだね。もっとトラディショナルなスカだったよね。俺たち以前にはマイティ・マイティ・ボストーンズとか・・・
B : オペレーション・アイビー
R : オペレーション・アイビーぐらいしかいなかった、それから “スナッフ”を抜きにしては語れないよな。スナッフはホーンセクションがあってもっとパンクよりの音だけど同じスピリットだよな。凄いエネルギーがあって。
B : もともと レスザンジェイクは3人のポップパンクバンドだったんだ、レスザンジェイクに参加する前に、俺がゲインズビルで彼らを初めてみた時はただのパンクで「新しくポップパンクバンドを始めたんだな」って思った。それからジェシカ(オリジナルサックスプレーヤー)がサックスをプレイし始めて…スナッフやオペレーション・アイビーのおかげでスカっぽい音を出し始めたんだ。彼らが俺たちの音を少し変えたんだ。俺たちはパンクバンドだったけどホーンセクションをいれたらかっこいいんじゃないかって思ってね。
F : 新しかったですよ。だから、最初はコロナというところにレスザンジェイクのライブを見に行ってね、「あ、いたいた」って、そのダリルって友達がレスザンジェイクのメンバーを指差したときに、ロジャーとかもう髪の毛こんな長くて、今と同じ髪型してて、それでT-シャツに短パンでしょ?ヴィニーなんかジーンズ切ったようなやつ着てて、スカのバンドとは全然違う格好で新しいなーって思って。それこそセンセーショナルですよ。
B : それはフロリダ出身だから、スーツは暑くて着れないから。(笑)
F : スカパンクバンドってことに衝撃を受けた。
B : 基本的にはトラディショナルなスカにエネルギーと怒りを加えたものだよな。
F : 最初に俺がレスザンジェイクを見た時は、ジェシカはいなかったよね?
B : 彼女は教師だったから、そのツアーはできなかったんだよね、でも確か半分ぐらいはまわってたと思う。
F : 俺がゲインズビルに行ったときのこと覚えてる?ジェシカが古着屋に連れてってくれて、これ買えあれ買えって薦めてくれた(笑)
B : スタイリストしていたんだ?
F : そう、ショーツとか買ったよ
R : ありゃ~
B : おかしいね~、でそれ持って帰ってきたんだ日本に!
R : 未だにそれを全てのライブで着てるって事か (笑)
O : ふみおさん自身はレスザンジェイクをどういう風に知ったのですか?
F : レスザンジェイクがPEZCOREってアルバムを出していたのを知ってたし、音源も持ってたし、日本でね、7"インチをディスクユニオンでね、こうやって買って。(レコードを探すふり)
B : そうそう、昔はレコード屋にいってそうやってレコードを探していたよね。今ではもうそんな事しないけど。今の人達は最初にネットで曲を聞くんだろうね。
F : その時にケムリのデモテープを渡した、最初に録ったデモテープ、6曲いりぐらいのね。カセットテープですよ。(レスザンジェイクに)カセットテープだったよね?
B : アアアア~俺たちが如何に年取ってるか言っちゃったね。(笑) 一緒に7インチのスプリットも作ったよな。
O : 数多くある共演の中で心に残ったツアーやハプニングはありますか?
R : 記憶をなくしちゃっているよ~(タバコをすって煙を出す仕草をする)
B : ロジャーは記憶を『ケムリ(煙)』にまいたんだね(笑)
R : そう! 『ケムリ(煙)』にまいたの(笑)
R : 俺たちとケムリは、いつもファンにエネルギーをあげてポジティブになるっていう同じミッションを持ってるよな
B : PMA
R : ずっとそうだよね
B : スカ・アゲインスト・レイシズム・ツアーの時にドラムのショウジがすっごい酔っ払ってたの覚えてるな。あちこちふらふらしてつまづいて、草のしげみかなんかに倒れこんで寝ちゃってさ、君たちは彼が見つからないからって置いてきぼりにするところだったよね。
R : それって俺らが裸でステージかけまわったツアー?
B : 違うよ、何の話をしてるかはわかってるけど、それはスカ・アゲインスト・レイシズム・ツアーじゃない。
R : そうだっけ?
B : それはスカブービーとかエピトーンとかそんな名前のツアーだよ
R : ケムリも一緒だったと思ってた。
B : 違うよ。どこだったか明確に俺は覚えてるよ。カンザス州フローレンスのリバティーホールでバックステージとステージがループ状につながっていて、俺とロジャーとジェシカでステージ上で裸になってそれからまた服を着て…
F : 君たちとジェシカも?
B : そう(笑)ステージ上で服脱いで舞台袖に服があって、舞台袖まで裸で走っていってでまたステージにでてきたときには服を着てるっていう。
R : 俺の頭がどうかしてたんだな…
B : お前のアイデアだよな
F : レスザンジェイクのショーで印象に残っているのがあるよ! ケムリはいなかったんだけど、俺がフロリダに彼らを見に行ったときでアゲインスト・オール・オーソリティとプレイしたとき。
B : うん、アゲインスト・オール・オーソリティ!
F : 会場が1000人収容規模で超満員で、ライブ中に…
B : お箸?
F : それそれ!800膳ぐらいの…
R : あ~!!!忘れてた!
F : 覚えてる? あのライブ?
B : 俺は今でもよくそのライブのことは話してるよ。その会場でまだライブすることもあるしね。フォートローダデールにあるところだよ。なんでそんなにたくさんお箸があったかというと、その頃ヴィニーがFueled by Ramen Recordってレーベルを作っていて中華料理のテイクアウト用のボックスを使ってたんだ。それが醤油とか他のものと一緒に届いて、たぶんお箸も一緒にそのボックスとともに来るべきだったんだけど、多分お箸だけ別に後から届いたんだよね。「これどうしようか?」って話に1なって、ものすごい量のお箸があってさ、誰かが「客になげようぜ!」って言い出して。最悪の考えだよね…だれも後のことを考えてない、オーディエンスがやりかえしてくるかもってことも…
F : 凄かったの、ヴィニーがFueled By Ramenていうレーベルをやってて、アメリカの中華料理のテイクアウト用のボックスにコンピレーションのカセットとステッカーとパッチみたいなのをそれにいれて物販で売ってて、箸だけあまって、800本だか1000本だかのその箸をなんかの曲の間に当時のスタッフとかがうわーーってなげて。終わった後会場箸だらけになって。まあ今ならちょっと怒られるかもしれないけど、あれはすごかったね~「チョップスティックショー」、あれは一番覚えてますね。めちゃめちゃだったんだからBTJ、未だにめちゃくちゃだけど。BTJは…
B : クレイジー?
O : そのショーにアゲインスト・オール・オーソリティが出てたんですか?
F : アゲインスト・オール・オーソリティ出ていたよ。最初に彼らが出て、レスザンジェイクがその次にでたのかな?
B : その箸が目にあたらなかったかって?(笑)もちろんあたったよ。でもそうなって当たり前のことしたからね俺らが。
O : 2バンドとも20年間以上にわたり活動していて、ずっとスカパンク、スカコアをやり続けていらっしゃいますが、スカパンクをやり続ける魅力はなんですか?
B : 俺らは25年だ。
R : 俺にとってはエネルギーの移動だね。ステージにいるときはエネルギーを出し続けられるから。たとえばエモやロックやトラディショナルスカのライブに行った時、そこまでのエネルギーがオーディエンスから発せられない、でもスカパンクの世界ではなんていうか、そのエネルギーを共有できるんだ
B : ポジティブエネルギー
R : それを外に出さなきゃならない、ワークアウトとかエクササイズするみたいなもんだよ。俺はとにかく音楽をプレイする事がめちゃくちゃ好きなんだ、あと俺たちのバンドで凄く好きな事はステージ上でびびっとくるような刺激的な感覚だよ。
B : だよね、自分たちの倉庫で練習してるときにもその感覚は感じるんだけど、オーディエンスがいると彼らとのエネルギーの繋がりを感じて、それを与えたり与えられたりしてエネルギーがどんどん大きくなっていくんだよ。
R : 楽しい音楽だからね。俺は音楽は楽しいほうが良いと思ってる。ライブにいって日ごろの悩みや自分の人生のことなんか忘れて、バンドがプレイしている時間だけは楽しむっていうね。他にそんな音楽ってないような…レゲエはまあでもそうかな現実逃避的な…
B : でもエネルギーは違うよね。
R : そうだな、エネルギーが違うな。
F : まったく同感、同じだね。
O : 今の日本とアメリカ(フロリダ)のスカパンクシーンはどんな感じですか?あと注目しているバンドはありますか?
R : ちょっとだけ逆戻りしてる感じかな。未だに90年代からのスカパンクをやってるバンドもいるし、でも前ほどたくさんはいない。今バンドをはじめた若い子達はスカパンクの要素を新しい音楽に入れ込んでいる感じもするし…でも俺たちはちょっと恐竜みたいな存在だよね。
B : 俺たちはまだやっているぜ!絶滅してないぜ!
R : たぶん、この音楽をいまだにやっている10バンドのうちの1つだな。
F : レスザンジェイクは一番精力的に活動しているバンドだと思う。たくさんツアーもするし、25年間ずっとツアーしているし。
B : 日本のシーンはどうなの?
F : ヘイスミスは知ってる?
B : うん
F : ヘイスミスのように新しくて人気のあるバンドもいるけどスカパンクって言葉自体が15年前ほど浸透はしてないね。
B : 同じだね、インターネットのおかげで、今は世界は、一つだよ。日本のシーンもアメリカのシーンも同じようなものだよ。
R : 時代はまわる、今はメタルが流行ってる感じがする、若いメタルバンドがたくさんでてきているから。てことは、次はエネルギッシュなポジティブミュージックがくるってことじゃないかな。
B : アメリカのジ・インターラプターズってバンドはすごく良いよ。
R : 知ってる? ジ・インターラプターズ? 女性ボーカルなんだけどトラディショナルな要素があってランシドみたいなところもある。
F : 結構タフなシンギング
R : めちゃくちゃ良いよ。彼らみたいなバンドを見ると「もしかしてこういった音楽がまた戻りつつあるのかな」って思うんだ。
B : でもホーンセクションがないね(笑)
F : 兄弟がバンドのメンバーで、ルックスは細いサスペンダーして
B : そうそうなんか制服みたいな洋服きて。実は3兄弟なんだよ、ドラマーとベースが双子でギターが彼らのお兄ちゃんなんだけど、彼も双子に似ていて、ボーカルと夫婦なんだ。
R : 本当の家族だよね、彼らのお母さんがバンドの名前をつけたんだって。
B : すごく良いバンドだよ。
O : 今後のバンドの展望や野望はありますか?
F : アルバムを作っていくことと、できるだけツアーをやり続けていくこと、日本だけでなくて、アメリカやイギリスやアジアとかワールドワイドに活動していきたい。
B : ケムリはアメリカに来て俺たちとツアーする。
F : レスザンジェイクは日本に来て俺たちとツアーする。
B : それがこれからのプラン!
R : 俺たちは音楽を作り続けて、音楽をプレイし続けたい。新しいアルバムを作って、その次のアルバムは前のアルバムより良いものにする。ファンにとって良いだけではなくて自分たちにとっても良いものを作りたい、そうすれば自分たちがベストを尽くしていることを感じられるからね。俺にとっては、前のものより良い音楽を作ることで音楽と一緒に前進していくことだね。もっとエネルギッシュにもっとキャッチーに。
B : 今までそうしてきてプレイしてきた。
R : 自分で言うのは何なのだけれど…未だに一番良い曲を書いたとは思っていないんだ、だから一生曲を書き続ける、まだ終わっちゃいないんだよ俺は。
F : ロジャーはサウンドエンジニアもやるからね、自分でスタジオもってやっているからね。
R : レコーディングのね、エンジニアね
B : 兼プロデューサー
R : 最近の数枚のレスザンジェイクのアルバムとか他のバンドのレコーディングをしたよ。音楽を推し進めるために、でもエンジニアは副業で音楽を作ることが俺にとってのメインだ。
B : 彼にとっては自然なことだよ。他の人にレコーディングを頼まなくていいわけだからね。作った曲を世にだしていかなきゃならないから、それを録音する技術も覚えるっていうね。
F : 素晴らしいことだよね。
R : ラッキーなだけだよ。俺たちはすごいラッキーなんだ。
F : フロリダのスタジオは最高らしいですよ。
R : 日本のバンドのレコーディングもしたよ。
F : エスエムエヌっていうバンドがロジャーのところで録音して
B : 長い間いなかった?8週間?6週間?
R : 同じときに2枚つくったんだよ。
B : アストリアのレコーディングもしたの?それともミックスしただけ?
R : ミックスしただけ。
O : 今日はありがとうございました!
R : ありがとう!君のエネルギーに感謝だよ。君が興奮しているのが伝わって嬉しかった。
R : 俺の日本語よりは君の英語はましだ。
(司会のOsawa17さんがセンセーションズのカセットをメンバーに渡す)
B : カセットだ!俺たちがいくつかわかっているね、CDプレーヤーなんかもってないんだよ
R : すげーーーー
これについての曲を次のレスザンジェイクのアルバムで聴く事になるだろうね。
B : でも英語だからだれもわからないよ (笑)
■ LESS THAN JAKE @ 恵比寿 LIQUIDROOM (2017.03.28) – PHOTO REPORT
http://pic.a-files.jp/lessthanjake20170328
■ KEMURI @ 恵比寿 LIQUIDROOM (2017.03.28) – PHOTO REPORT
http://pic.a-files.jp/kemuri20170328
Translated by JUNKO NAKAYAMA
Photo by LUI AMBO
リリース情報
結成25周年を迎えたLESS THAN JAKEの新たな章の始まりとなる7曲入りミニ・アルバム!
LTJ 節炸裂なキャッチ―&ファストなスカ・パンク・ナンバー収録 !25年を振り返ったメンバーによるセルフライナーノートも掲載。
新曲で作詞者でありドラマーの Vinnie Fiorello が「唯一続いている事は変わっていくこと」という一節をサビの部分で書いている、まったくもってそのとおりだと僕は思った。この歌詞に気づいて、噛み砕いて、呑みこむと、たちまち良い気分になる。電光石火のごとく、前を向いて進もう。
全てのもの、人は変わっていく、嫌でも世界は周っているのだ。
Less Than Jake の新しい EP、「Sound The Alarm」はバンドの 25 周年を記念するとともに彼らのエキサイティングな新しい章に入ったことを示している。そして新たにアメリカでは Pure Noise Records と契約をかわしている。7 つのスカに浸み込ませたパンクの曲はリスナーに彼らの覚えやすいメロディーラインを作り出す素晴らしい才能を認識させる。
「前作の “ See The Light ” と似たような感じでこれらの曲を作り始めたんだ、俺たちの倉庫でアコースティックギターと紙に走り書きした歌詞、そして次々と浮かんでくるアイデアをもってみんなでテーブルを囲んで座ってね」と Vinnie が話す。「浮かんでくる曲のアイデアを試してみたり、時にはそれを追ってみたり、またそのアイデアに結びついたり、すぐに結びつかなかったり。ワープドツアーの間に曲をかいたりアイデアを出し合ったりしていたよ」。
「Sound The Alarm」はベースの Roger Lima のプロデュースでレコーディング、コロラド州のフォートコリンズにあるパンクシーンでは有名なスタジオのブラスティングルームでミックスを行い、去年のワープドツアーを終えた後に仕上げられた。
Less Than Jake はメジャーやインディーのいろいろなレコードレーベルからリリースをしてきたが、南カリフォルニアの Pure Noise Records という新しいホームを見付けた。
「ワープドツアーでサンフランシスコを訪れたときレーベルの Jake に会って一緒にやらないかという話をした」Vinnie が続ける、「彼は LTJ の長いファンで、俺たちの歴史も良く知っているからバンドが向かっていく先を知っている。バンドとレーベルがお互いに尊敬しあえることはとても大切で、LTJ と Pure Noise Records はまさしく関係性をもっているんだよ」。(Liner-notes by PURE NOISE RECORDS)
LESS THAN JAKE
『SOUND THE ALARM』
2017.03.02 Release
01. Call to Arms
02. Whatever the Weather
03. Bomb Drop
04. Welcome to My Life
05. Good Sign
06. Years of Living Dangerously
07. Things Change
PLS-005 ¥1,600 + tax
barcode : 4997184975414
Format:CD
LABEL : PARKING LOT SOUNDS
Posted in ALL ENTRY, INTERVIEW, KEMURI, LESS THAN JAKE, RECOMMEND, REPORT |