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沖野修也 INTERVIEW

沖野修也 INTERVIEW

Profile of |沖野修也|


DJ、ライター、更には渋谷THE ROOMのプロデューサーなどとして世界中を飛び回り多方面で活躍中の沖野氏が1月に単行本『職業、DJ、25年 沖野修也自伝』を発売。自伝本の内容を中心に、沖野氏の幼い頃や現在のDJシーンについてなどのお話を伺いました!


沖野修也 インタビュー

—–まず「職業、DJ、25年 沖野修也自伝」の発売おめでとうございます!

ありがとうございます!

—–今回自伝本を出版したきっかけを教えて頂けますか?

既に3冊本を出版しているんですけど、今回の編集者の星出さんと久しぶりに再会しまして、『何か新しい本を一緒に企画しませんか?』と言う話を頂いて。最初は割りと「今後の音楽業界のあり方」だったり「今後の音楽ビジネスはどうなっていくか?」みたいな感じのテーマでいこうという事だったんですね。それで一緒にディスカッションをしていく中で星出さんが色々な出版社に持ち込んだところ、単なるビジネス書では無くて僕が今まで活動してきた音楽人生を振り返りながらのこれからの展望みたいな方向性がいいんじゃないかな?っていうアイデアを貰ったんです。それであれば、僕の音楽人生を振り返る自伝にしようという事で始まりました。

—–25周年という節目でもあるわけですよね?

そうですね。ちょうど25年で四半世紀という事もあって自伝だしキリも良いですしね。ただ厳密に言うと去年DJ25周年なんですけど、この本で書かれている25年というのは20歳から25年間という区切りなので2年前までの話になります。

—–ご自分の25年間を振り返るというのは、思い出せない事などがあったり大変な作業だったのでは?

ツイッターで呟いた数日前の事は忘れてたりするのに(笑)、実はあんな事こんな事色々何気に覚えてまして。というのは編集の星出さんが上手に聞き出してくれたのもありますよね。生死の境目を彷徨ったというような大きな出来事は無いんですけど、僕にとってはそれぞれの思い出が自分の人生を変えるようなインパクトがある一大事だったので記憶に残っていたんだと思いますね。それで振り返ってみて自分で言うのもなんですが、『結構俺がんばってたやん』って(笑)、昔の自分に励まされるような感覚はありましたね。俺ってこんなピュアだったんだとか、こんなに熱かったんだって。別に現在偉くなったわけじゃないですけど、今の自分には地位とか名声とか事務所とか会社とかがあって。当時のように「失う物が無い」っていう立場が今の僕には欠落してるなって改めて思いました。それが最大の発見ではありましたね。

—–その当時沖野さんが思い描いていた将来像と現状のご自身とで違いなどはありますか?

もっと僕は上を目指していたと思いますね。でもそれが理想から下がっているわけでは無くて良い意味でずれて違う方向に行ったというか。DJを始めた時は、僕のやっている音楽はアンダーグラウンドなんですけどDJで世界中を旅して凱旋帰国して、DJだけでリキッドルーム満員みたいなイメージはあったんです。DJ一本でやっていけるようなね。でも実際はそういうわけでは無くて、DJから派生した事を色々やって目標とはちょっとずれたわけですけど、後悔をしてるとかは一切無いですし、逆にこういう風に展開したかっていう面白さはありますよね。

沖野修也 インタビュー

—–今回自伝本で綴っている25年間よりも更に前の幼少時代の夢なども教えて頂けますか?

小学校の時は大人に喜ばれるだろうっていう理由で医者って言ってたんですけど(笑)中学校の頃になって自我が芽生えてきて、実は漫画家になりたかったんですよ(笑)。中学校卒業して江口寿史っていう漫画家の弟子入りを真剣に考えてた位だったんですけど、親に猛反対されて普通に高校へ進学しましたね(笑)。

—–という事はご自身でも漫画を描いたりしてたんですか?

漫画は描いてました。後は学級新聞とかを作るのが好きで、今思えば後にフリーペーパーの制作にも役に立ったのかなって。

—–学生時代も活発な動きをしていたのですか?

学級委員をやったり生徒会長をやったりしていて先生が質問をして誰も手を挙げないのに一人だけ手を挙げるような子供でした。最初は気味悪がられてたんですけど(笑)段々慣れてくると『また沖野が手を挙げてる!』みたいな感じで(笑)。でも僕の通ってた中学校がとにかく荒れてて映画のマッドマックスのような学校だったんですよ。警察が各階に居て不良生徒が廊下に灯油を撒いて火を付けて燃えてるような。2階でも3階でも廊下にバイクが走ってましたから(笑)。

—–それは結構なレベルの荒れようですね(笑)。

そうなんです(笑)。その不良が工作の時間とかで使うはんだごてをグルグル回して生徒とか先生が机を盾にして守るんですけど、そこにはんだこてが飛んで来て机に突き刺さるそうな学校でしたから。金八先生どころのレベルじゃなかった(笑)。

—–まるで漫画の世界ですね(笑)。スポーツなどはやっていなかったんですか?

柔道をやってて市の大会か何かで3位になって全校生徒の前で表彰されました。僕は不良じゃなかったんですけどそのお陰もあってか『アイツは武道の達人だから手を出したらアカン』ってちょっと恐れられてたんです(笑)。お蔭で怖い先輩とかからは可愛がられてましたね(笑)。

—–特に楽器をやっていたという事も無かったんですか?

1リスナーではあったんですけど親父にリズムボックス付きのキーボードを買って貰って趣味レベルで打ち込みみたいな事はしてました。

—–ご自身でレコードやCDなどを買うようになってからはどんな音楽を買っていたんですか?

それはもう完全にYMOでしたね。後はプリンスとかポリスとか。

—–そういう洋楽などを買うようになったきっかけというのはありますか?

テレビのCMです。当時マクセルかTDKか何かのCMソングにYMOが使われていてそれに洗脳(笑)されたんだと思います。

—–逆におにゃん子クラブだったりそういう流行り物のアイドルを聴いたりはしなかったんですか?

全然無かった。沢田研二とか山口百恵とかが出てるような歌謡曲の番組とかは観てたんですけど、積極的に音を買う程ファンになる事は無かったです。

沖野修也 インタビュー

—–自伝を通して凄く感じたのが、沖野さんの積極的な行動力だったんですが、その行動力というのはどこから生まれてくると思いますか?

それは好奇心ですね。いつも何か無いかなって、今も常に思っているし。アレをしたら駄目とかコレをしたら駄目みたいなのが無いんですよ。というのは、二十歳まで両親の教育というかしつけが凄く厳しくて、映画を観に行くのも駄目っていう位自由がなかったんです。二十歳になったら自由にしていいよって言われてたので二十歳になって僕の中で何かが弾けたんでしょうね(笑)。後は、父親が労働組合で社会主義運動をしてた人だったので、ちょっと変わってたというか。

—–結構直接的な影響はあったんですか?

何かを言われたとかは無いんですけど親の姿を見てましたね。当時コンピュータープログラマーの先駆けの花形だったんですけど労働組合の運動をしてて使用側と対立していたので出世は出来なかったんですよ。割とリベラルというか左翼的な思想の人だったっていうのも影響は受けてると思いますね。周りを見下してたわけじゃないんですけど、周りはコンサバティブで自分はリベラルっていう意識があったので、クラスで一人手を挙げてたっていうさっきの話も、正直に言うと手を挙げないみんなが間違ってて自分は間違っていない、正しい事をしてたと思ってたからなんですよ。なので二十歳まで抑圧されていたというのと、親の影響の2つの理由があると思いますね。

—–幼い頃の影響もあったんですね!

とにかく行動をするというか、例えば地元の京都から東京に出て来て外国人に話しかける時とか、『わざわざ京都から東京に来てるんだからもったいないやろ』っていう感覚で躊躇無く話しかけてたり。むしろ女の子に声をかける事の方が抵抗ありますよ(笑)。

—–え?そうなんですか?(笑)

はい(笑)。DJとかは憧れもあるし本当に話したいなって思うんですけど、可愛いなって思った女の子に話しかけなくても何にも自分の人生に影響は無い。やっぱり自分が会いたい人や憧れてる人と話がしたいって思うし、結構実際会って話が出来たし。もちろん断られたらそれ以上は話しかけないようにはしてますけどね。

—–自分から行動しないと!みたいな心がけというわけでは無い感じですね?

性格もあるとは思うんですけど、溢れ出てくるというか(笑)。よく色んな人に『沖野さんって発信してますよね』って言われるんですけど、発信してるんじゃなくて止め処なく溢れ出てくるんです(笑)。全く発信してる意識は無いんですよ。

—–受信をたくさんするからこそ溢れ出るんでしょうね。

とにかく好奇心旺盛だから視界に入るものを吸収していくというね。昨日も代官山のTSUTAYAに1時間位居たんですけどファッションからアートから文学からビジネスから車のバックナンバーから料理本までありとあらゆるジャンルを片っ端らからチェックしましたから。さすがにDVDと音楽までは時間が無かったんですけどね。

—–それは新しい物も古い物も含めですか?

面白そうな物は全部ひっくるめて。ジャケ買いじゃないですけど、背表紙のフォントで判断したりしますね。背表紙は大事ですよ(笑)。

—–それ凄く分かります!ちょっと自伝の中身の話になりますが、京都のクラブ「コンテナ」で働いていた際に、DJの藤本さんのミーティングの話がありましたが、今沖野さんが若い世代のDJの人達とそういうミーティングをするとしたらどんなお話をしますか?

彼と全く同じ事を言うと思いますね。DJってやっぱりお客さんとの接点を探る作業だと思うんです。今って家でパソコンにセットリストを作り込んでそのままの順番でプレイするDJもいますけど、お客さんの反応を見て曲順などを変えていくのがDJだと思いますね。

—–現在のDJはそういうスタイルが確かに多いですね。

お客さんに媚びるという意味では無くて、お客さんが求めているモノと、自分の持っている音ネタのギリギリの所との最大公約数の接点を探る作業がDJだって僕は教わったので、同じ事を教えると思いますね。

—–その作業は音的な引き出しが無いとなかなか出来ないと思うのですが、沖野さんのネタ探しはどの様にしているんですか?

幸いな事に今ラジオをやっているので、自分の中でルーティーン化しているんですね。収録日の六日前にはディレクターに音源を送らないといけないという事は、一日空けて一週間前までには用意する必要があるので、トラックソースとかビートボートのDJチャートだったり、尊敬しているDJのラジオショウだったり、後はディスコグスなんかは視聴が出来たりするし、休みの日は一日レコ屋に行って掘ったり、自分のスケジュールの中に掘る日と、ネットでサーチする日を決めて時間の許す限り探してますね。好きか嫌いかのジャッジはもう感覚的なので、誰々が気に入っているからとか、どんな有名なDJが薦めたとしても自分に刺さらなかったら無し。後は来日するアーティストの昔の音源を漁ったり、タワレコのBounceで新譜をチェックしたりして。

—–そういう情報誌のレビューなどもまめに読んだりはしますか?

基本人の言う事は信用してません。かなり疑ってかかってるというか(笑)。ただミュージシャンと話したりすると僕に刺さる音楽のコードとかコード進行とかに特徴があるらしいです。自分では感覚的に選んでいるとは思うんですけど、音楽的には何か法則があるのかもしれないです。

—–掘れば掘るほど色々とジャンルも派生していくと思うんですけど、逆に新しいジャンルの出会いなどは無いんですか?

時間が限られてるので物理的に無理かも(笑)。ただ一時プログレにはまった時期があってその時はかなり掘りましたね。ニューウェーブとかプログレなんかはジャズの要素も入ってたりするんですけど、カントリーなんかにもファンキーな音もありますけど、ちょっと遠かったりするのでなかなかそこまでは至らないというか。ただ否定は全くしてないです。もしかしたらハードロックでもジャズ的な要素を持った音があるかもしれないし。

—–実際今って音楽のジャンルも飽和していたり、ネットなどで情報も出回り過ぎていて何を聴いて良いか分からない人も多いとは思うんですが、そういう人達に何かヒントになる事ってありますか?

僕の場合YMOに影響を凄く受けてて、例えば僕の同世代のKEN ISHI君なんかも同じだと思うんですけど、みんながそのYMOのネクストみたいなものを目指していたと思うんですね。今音楽シーンが飽和してるとしても、その中でも有名無名問わず好きなアーティストっていると思うんです。それがファレル・ウィリアムスかもしれないしブルーノ・マーズかもしれないし、日本のバンドかもしれないけど、そのアーティストに関係する人から枝葉を伸ばして行く事が大事だと思う。今の若い子と話をすると有名か無名かだけなんですよね。でも例えばファレルの”HAPPY”のミュージックビデオの中に一瞬セルジオ・メンデスが出てくるんですよ。僕だったら”HAPPY”から入ってセルジオ・メンデスを掘ると思うんです。実際にDJでプレイする時も、”HAPPY”とセルジオ・メンデスの”Mas Que Nada”を一緒にかけるし。

—–音を掘った中で見つけた繋がりって事ですね。

そうですね。それと多分65年位のジャズロックのリズムが元になっているので、そういう”HAPPY”をきっかけに音楽的なルーツとか、ファレル周辺の人脈を辿って行けば結構その人なりのアーカイブって出来ると思う。最近は多くの人が突出したアーティストだけしか追っていない傾向にあると思うので、もっとルーツを探って自分だけのアーカイブを作ればいいんじゃないかなって。その関連性の中にヒップホップのアーティストがいたり、ロックの人がいたりするので、敢えてジャンルで縛らないで繋がりで発掘の対象を広げていく方が今の時代には合った音楽の聴き方だと思うし、みんながそれぞれのアーカイブを持つとシーンの堺っていうのが無くなってしまうかもしれないけど、個人の音楽体験は凄く充実すると思う。

—–なかなか昔に比べて掘るっていう作業をしなくなっている現状はありますよね。

確かに。後は、デジタルとかだと情報量がタイトルとアーティスト名だけじゃないですか。でもアナログってジャケットをひっくり返すとプロデューサー名だったりミュージシャンとか一目で見れたっていうのはありますよね。パソコンが無かった時代は、ジャケットに”Produced By Quincy Jones”って書いてあったら『クインシー・ジョーンズを掘るか~』なんて掘ってましたからね。

—–もちろん当たり外れもあるわけですよね?

もちろん。その繰り返しで学習していくから。今ってクリックで何処へでも行けちゃうので逆に便利過ぎるんですよね。『コピペ面倒くさい!』って人いますけど、いやいやいや、コピペめっちゃ便利やし(笑)。当時はレコ屋でも試聴出来ない時代だったけど、今は家を出なくても買える。時間もお金も節約出来て贅沢な悩みですよ。『いや~クリックしてもリンク飛べないんでー』って。。『何言ってるんだおまえは!』って思いますよ(笑)。

—–サンプルなどを頂く際も確かにファイルで頂く音よりも、盤面で頂いた方が愛着が全然違いますよね。

そうなんです。さっきもツイッターの呟きを忘れちゃうって話をしたんですけど音楽も一緒で、この何年間iTunesで何千曲とダウンロードしたんですけどあまり覚えてないんですよ。たまたまシャッフルで曲が流れて『あれ?この曲買ったっけ?』って。でも逆に買ったレコードはジャケットで覚えていますね。このジャケにあの曲入ってたなって。一応iTunesとかにもジャケットの画像はあるんですけど、ポケットに入れて曲を聴いててもジャケを見る事が無いじゃないですか?だからダウンロードをする事によって買った音楽に対する愛着とか記憶っていう意味ではかなり劣化してるんだなって思いますね。

—–確かにそうですね。。。ちょっと話が少し変わりますが、今沖野さんはDJ以外でもプロデューサーやライターなど多方面で活躍していますが、まだやっていない事で挑戦してみたい事などはありますか?

凄く基本的な事なんですけどピアノを習いたいなって思ってますね。今まで僕は楽器を弾かないっていう事でずっと活動をして来たんですけど改めてここに来てやりたいなと。

—–それはどんなきっかけでしょうか?

今6人編成の”KYOTO JAZZ SEXTET”っていうジャズのバンドをやっていて僕の担当が楽器隊の隙間を埋めるSEとかシェーカーを振ったりなので、『やっぱりバンドいいよな~。楽器で会話したい!』って思い始めて。実は震災前にドラムを習い始めたんですけど、震災後に京都に引っ越したのでドラムって色々荷物が大きいし毎回東京に持って行くのも結構大変なので(笑)。それで僕はキーボーディストが好きなので、ピアノを習おうかなって。

—–周りにミュージシャン仲間がたくさんいると思うんですけど、結構要所要所にそういう楽器を習いたい衝動はあったんですか?

震災の前のドラム位でそれ以外は全く無かったです。そのドラムを習おうと思ったのもKyoto Jazz Massiveでライブをやる時にドラムに色々なリズムのパターンを説明しないといけなかったり、ドラムの打ち込みとかも口で説明してた位ですから(笑)。それだったら叩いて説明した方が早いかなって。

—–確かにそれはありますね(笑)。

でももしピアノをこれから始めたら、30年後とかにもしかしたら結構いいジャズピアニストになれるんちゃうかな?って(笑)。

—–30年あれば可能性は全然あると思います(笑)。

敢えてここに来てピアノっていうのが自分的には新しいかもしれない(笑)。

—–結構ミュージシャンをずっとやっていてDJをやるパターンはありますけど、DJ歴が長くて楽器を始めるっていうのは斬新ですよね(笑)。

確かに確かに(笑)。あ、後は英会話を習いたいですね。

—–英語ですね!ちょうど英語の話が出て来たので、ちょっと海外のお話しも聞きたかったのですが、かなりの数の国へ行ってますよね?

自伝に書いてあるエピソードは2つ位しか無いんですけど、その海外記だけでも本が書けます(笑)。

—–その本も凄く読んでみたいです(笑)。その海外経験の中で印象的だったクラブを教えて貰えますか?

1つは自伝にも書いたんですけどバルセロナのクラブでそこはもう無くなってしまってて、もう1つはロンドンの”Plastic People”ってクラブで実はそこももう閉店してしまって。そこでは僕はプレイはしていないんですけど、サウンドシステムが最高でした。

—–サイズはどれ位なんですか?

THE ROOM※と同じ位で、中に入ると首から下が暖かくなるんですよ。多分細胞の分子レベルで体が振動するからだと思うんですけど、砂風呂に入ってるみたいな。その低音にミッドからハイまで音のレイヤーが綺麗に積み重なってて、色々なクラブに今まで行ったんですけどそこはとにかく最高でしたね。

※沖野氏がプロデューサーでもある渋谷のクラブ改め、タマリバ

—–無くなってしまったって残念ですね。

物凄く残念です。後は自分がプレイした場所だとちょっと名前を忘れてしまったんですけどハンガリーの大きな野外フェスで、Kyoto Jazz Massiveのライブの時に4万人位人がいて。フェスってお客さんの前でライブの転換とかしないといけないんですけど、たまたまその時期がマイケルジャクソンが他界した後でサウンドチェックの時に”I Can’t Help It”をメンバーがチョロっと演奏したんですけど、それで4万人がドカーンって盛り上がって。『まだサウンドチェックなのにここで盛り上がったらアカンやん』みたいな(笑)。あれはもう忘れられないですね。本編のライブも凄く盛り上がって、端から端まで見渡す限り人でしたよ。

—–4万人って物凄い数!そういうハンガリーだったり、色々な国でジャズっていうのは盛り上がっているんですか?

ジャズの良いところってどこの国にもジャズシーンのキーパーソンがいて、それはなぜかというとみんなレコードのコレクターなんですね。だからもちろん同時にクラブのDJのネットワークでもあるんですけど、元はレコードのコレクターで、それこそインターネットの無い時代から電話したりファックスしたりして『日本のフュージョン無い?』みたいなやり取りをしてましたから。インターネットってワールドワイドウェブ(www)って言うでしょ?僕らはインターネットが普及する前からその感覚があって、ニューヨークにはA君っていうコレクターがいて、そのA君の紹介でワシントンのB君と繋がって、ロンドンにはC君がいてそこからシェフィールドとかマンチェスターとかに広がっていく感じで。東京にもUFOがいて、その仲間が仙台とか福岡とか京都にいてっていう感じでジャズのコレクター兼DJのネットワークっていうのは、世界中に広がっているんです。

—–どんどん辿って行くと繋がっていくんですね?

そうなんです。カザフスタンにもロシアにもいますから。なのでインターネットの出現でワールドワイドウェブって言いますけど、僕らからしたら普通の事でした。

—–単純に今のFACEBOOKなどのSNSの完全アナログ版って事ですよね。

それに近いと思います。ハウスとかテクノとはまたちょっとシーンが違ってジャズ特有だと思うし、僕らの場合は直接クラブなどとやり取りが出来るので間に入るエージェントがいらないっていうのも大きいと思います。

—–それって音楽的な繋がりを作るのにもの凄く自然で理想的な事ですよね!

ただその分やっぱり英語を話せるようになりたいなっていうのはありますね。カミさんが外国人なんですけど言ってる事が半分以上分からないというね(笑)。ただその方が何か言われても『はー?』ってなるので喧嘩にはならないんですよ(笑)。

—–諦めてしまうんですね(笑)。

全部分かったら腹立つやん?(笑)でもさすがに支障が出て来たというか、みんなと英語で討論する場所に呼ばれないって事が昔あって。

—–それはどんな状況だったんですか?

マイアミのBBCのラジオ放送があった時に僕だけ入れて貰えなかった事があったんです。その時に凄く悔しい思いをしたんですけど結局、『ま、いっか』って(笑)。

—–そうなっちゃいますよね(笑)。ちなみにまだ行った事がない国で行きたい国などはありますか?

ブラジルですね。去年もワールドカップのタイミングでチケットも知り合いから貰えたので行くチャンスはあったんですけど、ちょうどヨーロッパツアーと被ってて行けなかったんですよ。何回もオファーがあるんですけど縁がないのかタイミングがなかなか合わなくて。

沖野修也 インタビュー

—–ちょっとお話が変わりますが、今って風営法などの影響も含め、なかなか夜遊びをしない人が増えてる現状があると思うんですけど、この現状についてどう思われますか?

僕が思うのは、DJがもっと世の中に出て行って音楽を人に聴いて貰わないといけないと思いますね。銀行でもホテルでも空港でもレストランでも色々なところでプレイをしてそこで興味を持ってくれてる人をクラブに連れて行くっていう。僕は割りとやっている方だとは思うんですけど、そういうクラブ以外の場所でプレイする事が相応しくないって思ってる保守派の人がいる事も事実だと思うんですね。僕はそうでは無くて、DJがもっと世の中とコミットしていく事でDJとかクラブに対する誤解を解いていかないといつまで経っても、『どうせドラッグ決めて適当に遊んでるんでしょ』っていうイメージは変わらないと思うんですよ。だからこの間官邸前でやったし、老人ホームでやる話もあったんですけど、僕に限らずもっと色んなところで音楽の楽しさを紹介していかないとね。DJの引き出しの多さと懐の広さっていうのを人の目に付く場所でリスナーに提案していかないと、クラブの間違った印象は改善しないと思う。

—–DJを聴くにはクラブに行かないと聴けないという現状があるので、クラブに行かない人はDJが聴けないという悪循環ではありますよね。

そうそう。だから逆によくBARとかでDJが出来る場所っていうのが増えているのは凄く良い傾向だとは思うんですね。サウンドシステムも最高だし、お酒も美味しいし。ただ選曲が。。。『そのアルバム良いんだけどその曲じゃないやろ』っていう事が多い(笑)。そういう場所があるのであればダンスフロアーが無くてもイベントを主催しても良いと思うし、ドンドン出て行かないと厳しいとは思いますね。

—–現在、音楽もさほど詳しくなくて遊びでプレイするDJも含めDJの人口って昔に比べたら増えていますよね?

うん。増えてるよね。だからこそプロの力量が問われていると思う。DJをする事は素人でもサラリーマンでもモデルでももちろん大歓迎なんですけど、「DJをする」という事と「DJである」という事って全く意味が違うので、人の前でプレイした時に『やっぱり沖野さん!ホンマ違うわ!』って一般の人達をどう説得させられるかですよね。どちらかと言うとマニアを唸らせる方が簡単だから。『なんか分からなかったけど、この人のかける曲凄い良かった!』って、たまたま通りかかったお子さん連れの主婦を引き付けるのが僕の考えるプロですから。そこではもちろんプロの資質が問われますよね。

—–確かにそうですね!

僕は決して悲観的にはなっていないんですけどクラブにしろDJにしろ、軽い気持ちでやっている人とか金儲けだけでやっている人達は淘汰されていくとは思いますね。

—–ではそろそろ最後になりますが、その前に沖野さんにとってレコードとは何でしょうか?

「洋服である」ですね。服を着替えるようにレコードを選んでいきたいというか。

—–その心はなんでしょう?

服って何を着るかでその人のキャラクターって出るからそれと同じでどんなレコードを選ぶかで僕のキャラクターが決まると思う。僕もデータを使う事はあるけど、データの音では僕の裸は隠せないので。やっぱりレコードが大好きなんですね。比喩ですけど。

—–興味深いですね!最後にこのサイトを見ている夢を追っている人達、特に若い世代の人達に何かメッセージがあればお願いします。

『どうせお金無いから』とか『やっても無理やろ』って自分で自分にリミッターをかけない事が大切だと思います。結局自分を信じれるのは自分しかいないんですよ。放っておいても周りが駄目出ししてくれるから、自分で駄目出しするのはもったいないなって思います。僕の場合みんなが『駄目駄目駄目!』って言うので(笑)。どうせ人が駄目って言うのにどうして自分で駄目にしちゃうのかな?って。ひょっとしたら何も言われないでその隙間を行けるかもしれないし。

—–自伝にも出て来た”無くしたチケットを諦めないで探した話”を思い出しました。

僕今でもあのチケット持ってますよ。

—–そうなんですね!自伝を読まないと分からない話なので続きは自伝を読んで頂くという事で!今日は貴重なお話をありがとうございました!

ありがとうございました!


Interviewed By kenichi Kono

沖野修也 著 『職業、DJ、25 年 沖野修也自伝』

沖野修也 著 『職業、DJ、25 年 沖野修也自伝』

大胆な発想と行動で常に世間に
問題提起を続けてきた国際派DJの四半世紀!
「無理だと言われたことを実現して、
悪意に満ちた人々を裏切るのが好きだ。」

──沖野修也Twitterより

< 目次 >
第0章 10代の頃
テクノ・ポップからフュージョンへ / 業界人に向いている!? / 「踊れるジャズ」との出会い

第1章 DJになる!(20~25歳)
グラフィック・デザイナー兼、クラブ店長兼、DJ沖野修也の誕生 / キョート・ジャズ・マッシヴの名付け親、ジャイルス・ピーターソン / いざ、東京へ! モンド・グロッソ、デビュー!

第2章 天下を取る!(25~30歳)
大みそか、集客八人 / 渋谷系の萌芽とザ・ルームの人気爆発 / MONDAY満ちる、UA、CHARA……ディーヴァたちとの蜜月

第3章 3000万円の未払い(30~35歳)
魂を売った!?「CDJナイト」と会社設立 / ザ・ルームの役割と社長就任へのオファー / フューチャー・ジャズ、日本からの返答

第4章 2億円のギャラ提示(35~40歳)
カフェ・ブームを逆手に取った、ザ・ルームの「ジャズ喫茶化」/レーベル発足とトーキョー・クロスオーバー・ジャズ・フェスティバルの開催 /『DJ選曲術』発売、ロングセラーへ

第5章 変化を受け入れる(40~45歳)
ジャズはいつになったらかかるんだ?/ DJは単なる踊らせ屋ではない / 「炎上」転じて福となす/ ザ・ルーム、脱クラブ宣言

ISBN:978-4-907583-31-6 本体2,000円+税 四六 / 208ページ / 並製
2015年1月9日発売
発行元:DU BOOKS
発売元:株式会社ディスクユニオン


沖野修也(KYOTO JAZZ MASSIVE)

DJ/クリエイティブ・ディレクター/執筆家/選曲評論家/Tokyo Crossover/Jazz Festival発起人/The Roomプロデューサー。

KYOTO JAZZ MASSIVE名義でリリースした「ECLIPSE」は、英国国営放送BBCラジオZUBBチャートで3週連続No.1の座を日本人として初めて射止めた。

これまでDJ/アーティストとして世界35ヶ国140都市に招聘されただけでなく、CNNやBILLBOARD等でも取り上げられた本当の意味で世界標準をクリアできる数少ない日本人音楽家の一人。ここ数年は、音楽で空間の価値を変える”サウンド・ブランディング”の第一人者として、映画館、ホテル、銀行、空港、レストラン等の音楽設計を手掛けている。

著書に、『DJ 選曲術』や『クラブ・ジャズ入門』等がある。2011年7月、2枚目のソロ・アルバム『DESTINY』が、iTunesダンス・アルバム・チャート第1位、総合アルバム・チャートでも第3位を獲得。2013年11月にはバーニーズ ニューヨーク新宿店で初のイラストレーション展を開催。2014年、KYOTO JAZZ MASSIVEデビュー20周年、沖野修也DJ生活25周年を迎えた。

現在、InterFM『JAZZ ain’t Jazz』にて番組ナビゲーターを担当中(毎週水曜日22時〜)。有線放送内I-12チャンネルにて”沖野修也 presents Music in The Room”を監修。2015年1月、沖野修也 自伝『職業、DJ、25年』を発表。新プロジェクトKyoto Jazz Sextetのデビューアルバム『Mission』を4/15に発売し、5/25(月)にはビルボードライブ東京でのLIVEが決定している。

■KYOTO JAZZ MASSIVE Official Website
http://www.kyotojazzmassive.com

■BLOG
http://ameblo.jp/shuya-okino

■Twitter
https://twitter.com/shuyakyotojazz

■Instagram
http://instagram.com/shuyakyotojazz

■沖野修也 FACEBOOK
https://www.facebook.com/shuya.okino

■KYOTO JAZZ MASSIVE FACEBOOK
https://www.facebook.com/kyotojazzmassive.real


Event Info

ESPECIAL RECORDS SESSION-Kyoto Jazz Massive Spring Special-

2015.4.4 (SAT) @The Room

Kyoto Jazz Massive Presents
ESPECIAL RECORDS SESSION
-Kyoto Jazz Massive Spring Special-

-DJ-
SHUYA OKINO (Kyoto Jazz Massive)
and
YOSHIHIRO OKINO (Kyoto Jazz Massive / Especial Records) 

-Food-
Modern Times

Open : 22:00
Charge : 22:00~23:00 1500yen(1D) 23:00~ 2500yen(1D)

今回のEspecial Records Sessionは、Kyoto Jazz Massive沖野兄弟によるスペシャル・ロングセットでの開催です!

前回も好評でしたので、今回も22:00のオープンから沖野好洋がプレイ予定!(今回は”ジャズ・セット”の予定です。)その後は、KJM沖野兄弟によるクロスオーヴァー/ハウス等の新譜から、ブギー/ソウル/ジャズ/ブラジリアン等の旧譜迄、Kyoto Jazz Massiveテイストによる幅広い選曲で盛り上げます。

https://www.facebook.com/events/1568065340144042/
http://www.theroom.jp


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