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山 洋平 (Yohei Yama) Interview

[2014/09/14]

山 洋平 (Yohei Yama)  Interview

Profile of |山 洋平|


—–洋平君はフランス在住ですが。まずはそこまでの経緯を教えて貰えますか?

2009年の夏に初めて行ったんですけど、前まで写真を撮ってたんですね。車を寝れるように改造して写真を積んで友達のお店とかを回って展示をしたりしてて。

—–それは日本でですか?

はい、日本ですね。それで南フランスのアルルって言う街があるんですけど、そこはゴッホが「向日葵」や「黄色いカフェ」っていう作品を描いたりした有名な街 なんですけど、そこで毎年国際写真フェスティバルっていうのを開催してるのをネット知ったんです。50年とか続いている結構歴史のあるフェスティバルで。 世界中からたくさんのアーティストとか写真好きな人達が集まるんじゃないかなって思って、実際そういう所で自分の写真がどう評価されるかっていうのが知りたくて写真を持って行ったんです。

—–それはフェスティバルに出展するとかでは無くて?

フェスティバル自体は街中の至るところの室内で行われてて、ぼくは自分の作品を道に並べてフェスティバルで集まった人達相手に『これどうなの?』っていう感じで(笑)。

—–という事は何にもアポ無しで行ったわけですね(笑)。

全く何も考えずに(笑)。それで向こうで結構そういう人とかいるのかなって思ったら意外と自分しかいなくて(笑)。道に写真を並べてその前 に”TRAVELING”とか書いてお椀を置いて適当にウクレレ弾いたりしてるわけですけど、結構暇になってきちゃって。それで日本でちょっと落書き程度で描いてた絵があったんですけどそれを描いてたら、『いいね!いいね!』って道行く色んな人が言い始めて。チップを入れてくれる人が増えてきて、お!って思ってら、『こ れ幾ら?』って何人かに聞かれたりして。最初意味が全然分からなかったんですけど、『あ、これ売れるんだ。』って思って(笑)。ある日初めて絵が売れたんですね。パリに住んでるというおばさんに。

—–凄いですねそれ。写真じゃなくて絵だったと(笑)。

そうですね(笑)。まあ写真を見てくれる人もいたんですけど、やっぱりフェスティバルの凄いでっかい綺麗な会場ででっかい作品とか見た後に道端の小さな作品を見てもねえ。でも絵が良いという話しになって。それからこっちや!絵でしょ!ってなって、キャンバス買ってバリバリ絵を描き始めて。そうしたら旅費をカバー出来る位絵が売れちゃったんですね。

—–え?(笑)そんな事ってあるんですね!実際滞在期間はどれ位だったんですか?宿の問題もあるでしょうし。

2ヶ月位ですかね。宿なんかもなんとかなるでしょって思ってたら、宿の人が、『このフェスの期間に予約無しで来るのは無謀です。』って(笑)。結局寝る場所が無くて初日は公園で野宿したんですけど、もうこの先どうなるんだろって(笑)。

—–まじっすか(笑)。

はい(笑)。それで翌日同じ様に絵を描いてたらフランス人のスケーターが話しかけてきて。少しだけ日本語が話せると思ったら、駒沢に昔住んでた奴だったんで すよ。僕もスケボーしてたんで色々話してたら共通の友達がいたりして(笑)。それでこのチャンスは逃せないって思って、『前日に野宿して泊まる所が無い』 みたいな事を言ったら、そいつがお母さんに聞いてくれたんです。結局そいつの家に最後の日まで滞在してたと(笑)。

—–えーーー!(笑)。。。

本当に助かったし運が良かったですね。それから昼間は絵を描いて夜はそいつの家に泊まってって生活を2ヶ月やって。

—–もう奇跡じゃないですかそれ。でも良く絵が描けましたよね。

なんなんですかね。自分でも良く分からないけど、アルルが僕の人生の交差点であったことは間違いないです。アルルの女神様が微笑んでくれたというか。何も考えずに来ちゃって、寝るとこもないし、金もないし、もうコイツを助けるしか無いでしょって(笑)。

—–無計画で来ちゃったしねって(笑)。

そうそう(笑)。もうこれは漫画の世界か?って話しで(笑)。

—–確かに漫画っぽい!人って振り切った時に潜在された才能とかが発揮されるんでしょうねきっと。それで絵を描く生活を続けてたと。

アルルは観光地だしフェスティバルもあったから色々な国の人がいて、フランス人は基本絵が好きだから道で絵を描いてると色々な人が話しかけてくれて。それが凄く楽しくて。

山 洋平 (Yohei Yama)  Interview
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—–日本だとどんなに良いと思っても、割りと素通りしちゃうパターンが多いですよね。

まあ立ち止まらないですよね。フランス人は立ち止って僕に話しかけなくても、絵について議論したりするんですよ。あーでもないこーでもない言いながら(笑)。小さな子供でもこの絵のココが好きとか嫌いとか言ったりしてて。後はアーティストを応援しようっていう気持ちがあるんだと思う。自分が気に入った絵を描いてたら、がんばれ!っていうサポートしようとする気持ちがありますね。『大丈夫?食べてるか?』とか(笑)。近くのパン屋さんがパンをくれ たり(笑)。

—–漫画っていうかもう映画の世界ですね(笑)。

ですよね(笑)。それで結局写真見せに行ったはずが、最後は絵の個展までして帰ってきちゃったという(笑)。

—–2ヶ月間で?もう滅茶苦茶ですね(笑)。元々絵は描いてたんですか?

子供の頃は絵を描くのは好きで、小学校の頃は漫画家になろうと思って”少年ジャブン”っていうのを友達と発行して”魁男小学校”とかいうのを描いてました(笑)。ただ勉強とかした事も無いし、美大っていう存在も知らなかった位のレベルでしたね。

—–腰を据えて描いた事も無い?

無いです。でも今思うと写真を撮ってたのもアルルに行って絵を描く為だったような気がするし、スケボーしてたのもアルルでその泊めてくれたフランス人に会う為だったんじゃないかなとすら思います。なんだかそれまでやってきたことの線が全部アルルで繋がって三角形の頂点を作ったような、そんな気がしてます。

—–鳥肌の立つ話ですよね。

面白いのが、次の年も個展やりたいっていう人がいてくれたのでまたフランスに行ったんですね。それで同じ様に絵を描いてたら今の奥さんとなる人に出会って。道で。

—–完璧(笑)。

結局2年目はその彼女の家に滞在する事になって、アトリエなんかもあったので絵をずっと描いてました。

—–その2回目に行くまでは日本では何をしてたんですか?

駒沢のNICOっていうカフェで日本での絵の展示を一番初めにやらせて貰って、それから東北の友達のお店を回ったりして、今まで写真でやってた事を絵でやり始めた感じでしたね。

—–日本の友達とか関係者からしたら、なんで絵になってんの???ってハテナですよね(笑)。

あれ?って(笑)。それで幾つか展示の話がフランスであって、日本で絵を描いてフランスに持って行ってという事を繰り返しながらもビザの問題もあったりで。そしたらフランスにいる時に日本で震災が起きて。

—–2011年ですね。

はい。今まで原発とか放射能とか言葉は知ってたけど本当にどういうモノなんだろうっていうのを調べまくって勉強して。フランスで絵なんか描いてる場合じゃ無いんじゃないかとも思ったし。それで今まで人間がどれだけ自然を根こそぎ破壊してきたかって事を改めて知ったんですね。自分の世代はまだ大丈夫かもしれな いけど、子供とか孫の世代とかは大丈夫じゃないっぽいなって凄い思って。その時に、今の絵のモチーフとなっている木っていうインスピレーションがやってきたんです。

—–その木にしたという想いはどんなところからなんですか?

なんていうか、一人の人間として自然に対して『ごめんなさい。』って言う気持ちがまず強かったです。そしてたくさんの人が震災で無くなって多くの人の心が傷ついてて。そういう人達や自然に対して、回復して欲しい想いや祈る気持ちが強かったので、そういう気持ちが木のモチーフにになったのかな。とにかく、閃いて。この木のモチーフを描いてるうちに自分も癒されていって。また絵を描く事を再開出来るようになって。人間を含めた自然に対して絵を描き始めたというか。

—–その震災後にかなり心境が変わったんですね。

そうですね。本当は地面に木を植えることが出来たら、それは直接的で、ベストだと思うんだけど、僕は絵を描くことが仕事なので、キャンバスに木を植えて人の心の中に自然を象徴する木のイメージを植えていければという気持ちです。物理的に自然の量が減っていくと、人間が自然に触れる機会っていうのは減るわけで。そうなると心の中の自然の占めていた量っていうのも減っていくと思うんですね。だから個展に来てくれた人が僕の描いた無数の木を見る事によって、心の中で失われた自然の量をもしかしたら少しでも増やせるんじゃないかという想いがありますね。鑑賞者に無意識的に。絵って目で見るものなんだけど、その効き目は目で見えないもの、つまり心に作用するっていうのがとても面白く、素晴らしいところだと思うんです。

—–家に飾れば毎日見れますしね。

そうそう。この絵はなんなんですか?って聞かれた時は出来るだけこういう話をしようと思ってますね。あくまでも自分の考えなので同意する人もいれば、そうじゃないって言う人もいて、それは個人の考えだからどっちでも良いんですけど。でもやっぱり作品をこうやって発表してる以上は、こうした方がいいんじゃな いかなって思っている事を自分の表現で伝えることが、アーティストの仕事なんじゃないかなって思っています。

—–あの木にはそういう意味合いがあったんですね。

自然と調和する方向に人間の文明が進んで行かないと明るい未来はないと思うんですよね。もはや無理な所まで来てしまってるんじゃないかなって思っちゃう時もありますけど…

—–もう手遅れなんじゃないかっていう感はありますよね。人間って毎日のニュースとか情報で麻痺してしまって、それが当たり前みたいになってしまう部分もあると思うので、こういう絵で主張というか表現する人がいるだけでも少し踏み止まったり考えたりするきっかけにはなりますよね。

少しでもそうなれればいいなって思ってます。

山 洋平 (Yohei Yama)  Interview
山 洋平 (Yohei Yama)  Interview
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—–それで今はフランスに住んでるんですよね?

2011年に結婚して、フランスに住んで絵を描いて1年に1回くらい日本に帰って来て個展をしてっていう生活です。

—–結構理想的な生活ですよね。

フランスももちろん好きなんですけど、正直どこでも良いかなっていうのはあって。知らない土地にいるのが好きで。分からないと興奮しちゃうというか(笑)。旅の醍醐味って知らない土地でもう本気を出すしかないあの感じがたまらなく好きで。ワクワクしちゃうんですよ(笑)。

—–遠回りして時間を無駄にしてってやつですね。フランス以外はどこに行った事があるんですか?

16歳の時にフィンランドに1年間留学してて。それをきっけにヨーロッパとアジアとアメリカと中米は行った事ありますけど、何ヶ月も放浪してたってわけでは無いです。ただ外国に行く事に今まで一番、時間とお金を費やしてきましたね。今考えれば、美術の学校とかに通って時間とお金を費やして勉強するのでは無くて、 旅の経験が自分の中で色々勉強になってたのかなと。

—–海外で全く違った物が違った物差しで見れますしね。経験値ですね。

白いモノがあっても、それを比較するのに黒いモノを見ないと比較出来ないじゃない?比べる物差しを持っていないと物事を測れない。旅はそういう事なんじゃないかなって思う。ホント知らない所に行くと、自分を試せるというか自分がどんなもんかっていうのが見れますしね。あと、ホント、言葉もわからん、字も読めん、誰も知らないっていう状況になるとワクワクしちゃうんですよね。なんなんだろアレは。

—–今海外に行くのはそんなに難しくないですしね。

1ドル360円とかだった昔は、海外に行くのも大変だったと思うけど、親父達の世代が経済発展させてくれたお陰で今はそんなに難しくは無い。そういう意味では外国に行くチャンスは今はたくさんありますよね。

—–さて。今後なんですが。予定なども含めて教えて貰えますか?

ベトナムのギャラリーに絵を扱って貰える様になったので、香港とか台湾のアートフェアにボクの絵を持っていって展示してもらえるのと、多分来年位にパリで展示をすると思います。

—–それは言っちゃっても大丈夫ですか?

はい。言っちゃったらやるしかないので(笑)。

—–絵のテーマとか最近考えてる事とかはありますか?

今年子供が生まれたんですけど、改めて人間皆こうやって生まれて来たんだなって思って。交差点を歩いていても、電車に乗ってても、みんな最初は赤ちゃんだったんだなと思ったりしていて。赤ちゃんって絶対に誰かが世話をしてあげないと生きていけない。だからみんな、どんな状況でも必ず誰かの世話になってここまで成長してきたんだなっていうのを改めて思ったりしますね。あと、この地球っていうのは宇宙の中の太陽系第三惑星で。でも太陽系は、天の川銀河のほんの小さな一部分で、 その天の川銀河っていうのも、もっと大きな銀河団の中のほんの小さな一部なわけで。そういう事を考えると。。。『ここ。。。どこ??』って思うわけです (笑)。映画とかで色々なファンタジーとかメルヘンとかあるわけですけど、実はこの地球上にこうしている現実が一番ファンタジーなんじゃないかなって。星の上の住人っていう時点で既に物語でしょっていう。

—–確かに確かに!

自分が生まれて来たのには父親と母親がいて。その二人が生まれて来たのにはまた父親と母親がいて。そうやってずーっと一回も命が途切れていないから自分が生まれて来たわけで。それを考えるとなんか果てしないなって。目の前の人間社会のもっと外側にあるもっと大きな現実世界をもう一度認識し直したら、結構『そんな事もうよくない?』っていうのがたくさんあるような気がして。そんな事を考えてますね。言葉に出来ないから絵にしてる部分はあるんですけどね。そういう事も考えながら絵を描いてますね。

—–深いですね。

日食と月食って太陽と月の大きさがまるっきり一緒だから起こるわけですよね。でも、地球からの距離も大きさも全く違う太陽と月の大きさが地球から見てまるっきり同じというのは、偶然というよりも何かの意思を感じるんですね。両方の星が同じ大きさに見える位置は宇宙の中でもこのポイントしかないわけだし。それ が成立してる事になんか凄い象徴的な意思を感じるんですね。だから生きている事は凄く不思議だし、素晴らしいチャンスを貰ってると思う。100年後は今生きてる人はみんなほとんど死んでるでしょう。明日自分が死んでしまう可能性もゼロではない。そう考えたら今日は大切だし、自分がやれる事をやっておきたいと思う。それは、それぞれの人の得意な事で目の前の人を喜ばせる事だと思うんですよね。みんな必ず何かしら良い所を持っているから、自分の得意分野をそれぞれが思いっきり発揮して、お互いに良い影響を与えあって自分の目の前の世界を1ミリでも良い雰囲気に進めていくことなんじゃないかなって思うんですよ ね。一瞬で世界を変えるって事なんて誰にも出来ないから。小さなものの集合体がこの世界を創っていると思うので。ぼくらはそれぞれが全体の一部、一部の全 体なんだと思います。

—–まさしくその通りだと思います。

政治とかもそうなんですけど、雰囲気で反対出来ないみたいな流れを作り出したりして、みんな仕方が無いのかなってなし崩しにされちゃう部分って凄くあると思 うんですね。戦争って言葉を耳にする事も2~3年前に比べて格段に増えてると思うし。さっきの”生”の話しに戻るんですけど、最初は赤ちゃんだった誰もが戦争で殺しあうなんて、そこにどんな理由があるとしてもナンセンス。命をかけて生んでくれた母親の気持ちを考えたら完全にナンセンス。だから、今の、この戦争という言葉が醸し出してる嫌な雰囲気に、僕は絵で対抗しようと思うんです。殺し合いとは真逆の、命を繁栄させる空気、雰囲気を絵で作り出して抗いたい。

—–それが回りに伝線して更により良い雰囲気やムードが生まれればいいですよね。

そうですね。あとは絵って、言葉じゃないから見て自由に何かを感じてもらえたら良いし解釈は人それぞれで良いすし。そこがまた面白い所だと思うから。

—–議会とか政治とかも野外の森林の中とか砂浜の上とかでやればいいのにって時々思います。それだけでも少しはマインドが和らぐ気がするし。この海を見てそんな事言えるの?じゃないですけどね。

確かにそうですね。焚き火を囲んでとかね。

—–絵とか音楽とかもそれと同じなんじゃないかなっていうのはあるかもしれないですね。ポジティブな雰囲気を作り出すというか。

そうだよね。せっかく命を授かったわけだからね。心ワナワナ、感極まって生きていきたいですね。
人間だもんね!

—–ですね!しかし残念ながらそろそろお時間なのですが。。まだ個展は21日までありますが、最後に何か一言ありますか?

久しぶりに日本に帰ってきて、家族とか友達とか観に来てくれる人とかギャラリーの人とか、本当に色々な人のお陰で自分がこうして生きてるっていうのを実感してます。だから力を貸してくれるみんなに心から感謝してます。 あと、ホントに人との出会い、再会が最高ですね。一人じゃ何もできないから。面白い人がたくさんいて幸せです。個展会場には出来るだけ在廊するようにしているので、是非とも遊びに来て下さいませ!

—–今日は色々なお話ありがとうございました!

ありがとうございました!!


Interview by Kenichi Kono

山 洋平展 「星と大地の間 -InBetween Stars and Ground-」

山 洋平展 「星と大地の間 -InBetween Stars and Ground-」

2014年8月28日~9月3日

Gallery Concept 21
東京都港区北青山3-15-16

2014年9月6日~9月21日

DIGINNER GALLERY WORKSHOP
東京都目黒区自由が丘1-11-2

山 洋平(Yohei Yama) web site
http://yoheiyama.net


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